2009年03月04日

「わたしと薬」 (長崎県・23歳 女性)

 私は今23歳だが、19歳の時に仕事の過労から「うつ病」と診断され、それから今現在も治療を続けながら、近くの食堂でアルバイトをしている。朝と晩に抗うつ剤を3錠、寝る前に睡眠剤を2錠飲んでいる。一時期に比べたら量は減ったものの、今でも飲まないと不安になり、仕事中にもたまに動悸におそわれたりもする。見てくれの病気ではなく、飲めば治る、という確証も自分の中に未だない。だから効果があるのかと言われても、専門家でもない私には何もこたえられないというのが正直なところでもある。
 ただ黙って自分の中にこもっていただけの時間もあり、常に低温のまま前に進もうとしない自分に嫌悪し、その時に処方されていた抗うつ剤を見つめ、こんなものを飲んで本当に効果があるのかという苛立ちにかられたこともある。実際やけくそのような気を起こし、大量の睡眠剤を服用して救急車ではこばれたこともある。あのときは本当に最悪、災厄、という言葉がそのまま過ぎて行った。
 そんな中でも私は、昔から文章を創ることが好きだったこともあり、小説や詩を書いたりして自分となんとか向き合おうと努力し、自分を救うということも求め、他人があたえてくれる新たな「言葉」に出会おうともがきつづけた。自分の心に響くもの、とどくもの、本当にもとめているものを真の自分で受け止めたい、と想った。誰に対して、というわけでもなく…ただそんな想いはあったことは確かだ。
 うつ病の人間全員に、言われるとおりのことが当てはまるわけでもないだろう。
 「がんばれ」「はやく元気になって」「他につらい人はいっぱいいる」
 自分のつらさの定義なんて自分にしかわからないし、他人が大丈夫と思っている次元のことが、自分にとって骨を折られているのに歩けと言われているようなつらさに感じることもある。それと同じように、心に響く、とどく、もとめている言葉も違うだろう。それは言われてみないとわからない。厄介だが、私はそうだった。
 別に「がんばれ」と言われてもつらくはなかったかわり、何も感じなかった。
 別に「はやく元気になって」と言われても何も感じなかったかわり、元気になろうとも思わなかった。誰の言葉だから、ということではなくて、誰に言われても同じことだった。
 どんな言葉ならば私にとどくのだろう。どうやったら前に進もうと思えるのだろう。焦りばかりで、そのときかけてもらったはずの言葉もろくに憶えていない。
 それから何年後かのことだったか、その年の大晦日、母から聞く。我が家には借金があったということ。ローンを払うのにローンを組む、という状況だったらしく、私が前の会社で働いてもらっていた給料をほぼ全額家計に入れていたことが礎になり、その1年後に働き始めた妹の給料でやっと本格的に返済が軌道にのって、大晦日の直前、やっと返済が終わったという。私が病気になり、精神的経済的にも負担をかけた時も知らなかった。私は私しか見えていなかったのだ。それを聞いた時、その悔しさとはがゆさ、申し訳なさが重なり、翌日瞼が腫れるほどに泣いた。あれだけ泣いたのは本当に久しぶりだった。 そのお詫びと言ってはなんだが、今は時々自分の小遣いで、家族の好きなお菓子を買ってささやかなご褒美を分け合うようにしている。家族の笑う顔を見ると、しあわせだ。
 そして借金が完全に返済できたと言った母の口から、ついでこんな言葉を知った。
「陰極まれば陽に転ず」
どん底を味わった後には、必ず希望が見える。
 それまで何の言葉も素通りしていた私の心の芽も、やっと頭をもたげた気がした。
 働いていれば色々な問題に直面するのは当然だが、そのたびにこの言葉が自然と聞こえる。どんなにどん底の時期が長くても、それは決して無駄にはならない。その言葉がはっきりと定まったわけではないし、揺らぐことも多々ある。つらい、きつい、かなしいと口にしてそう感じればきっと、うれしい、たのしい、おもしろいと感じることもできるんだろう。他人が言うことを正しい正しくないで判断して思い込むより、自 分の正直な心に感じたことを想う方が、自分の未来は見えてくる。
 今飲んでいる「抗うつ剤」より、「言葉」のほうが、私の心の薬になっていると思う。
 今までもそうであったように、これからも言葉の薬で、病気を治していきたい。