2009年04月06日

「薬は人生の同行者」 (長野県・58歳 女性)

 あわただしい朝食の後、「薬は?」とたずねあうのが私ども夫婦のここ何年かの習慣になった。夫は高血圧の薬、私は抑鬱治療剤を飲むのである。
 夫は母親の体質のみ受け継いだようで、体つきも顔つきも全く似たところがないのに、数年前、人間ドックで高血圧との診断を受けた。とうとう3年前には、トイレで倒れ、夜中に病院へ行くという騒ぎになった。幸い、怪我も後遺症もなく翌日には、普段通りに出勤したが、それ以後は不発弾を抱えているような生活となった。お風呂が長かったりすると、気になって風呂場に声を掛ける。行き先が知らされていなかったり、連絡もなく帰宅時間が遅れると気になる。
 姑の掛かり付けだった医師が飲み薬を処方してくれている。これで爆弾を押さえ込んでいるといった感じである。
 「これ、飲み始めると生きている限り飲み続けなくちゃならないんだよな。」最初の日、夫は掌の白い錠剤を見つめながらしみじみつぶやいた。
 「絶対に離婚できない奥さんみたいなものだね。嫌でも、一生つきあわなければならないなんて。」「でも、どうせつきあわなければならないのだから、まあ、健康を気遣ってくれる古女房だと思うことにしよう。死が二人を分かつまで…だ。」と夫。「美食や飲酒は、美人の奥さんみたいに、重く感じたり、とげがあったりするけれど、この薬は、並以下の女房のように、だんだんあきらめもついて日常に溶け込むわよ。」と、私。「誰かさんのようにか?」と、夫がにやり。
 血圧を記録した手帳を持って、定期的に通院し、その都度投薬をうける。量や回数の増減に一喜一憂していたが、このごろは、朝食後のみの服薬となった。
 さて私の方である。5年ほど前に、仕事上の行き詰まりから鬱病と診断され、
半年の休職。いったん復職したものの、結局は早期退職をした身である。
 同業の夫に、心配を掛け、肩身の狭い思いをさせた。同じ病を患った事のある同僚が自分のことのように心配し、医師を紹介してくれた。
 診察はごく短時間、話を聞くのみ。後は、ひたすら薬の調整であった。外科的な治療はもちろん、計熱も注射もない。ただ、心身の状態を聞いてもらうだけの診察である。
 適切な薬の量を探るために、就寝前に、入眠剤を一錠飲むことから始まった。栄養剤や家庭常備薬の他は胃薬や風邪薬しか飲んだことのない私にとっては、これでも随分抵抗があった。そのころ、薬袋の中に、家族宛の遺言メモを忍ばせたことがあった。随分追いつめられていた。それでも、夜眠れるようになって、気持ちも前向きになってきた。遺言メモはいつの間にか丸めて捨てられた。
 薬は、種類も量も増えていった。一番多いときは、3種類の錠剤5錠、粉薬一包という量を毎食後ということになった。入眠剤、抑鬱治療剤、便秘薬なんだそうである。職場復帰したときに、休職の後、クラスの子どもの目を避けて飲むのは結構つらかった。それでも、楽になりたくて必死だった。
 鬱病の治療といえば、時間を掛けたカウンセリングが中心だと漠然と考えていたのに、投薬治療が中心だということが分かって驚いた。5分に満たない、心身の状態の報告のみの診察も幾分不満だった。それでも薬のせいか、徐々に改善していくのが嬉しかった。
 が、投薬による回復だけでは限界だった。職場復帰して一年半の間に、教職の世界は自己評価が義務づけられ、免許の更新制が決まり、めまぐるしく変わっていった。担任している子どもや、周囲に迷惑を掛けるのが絶えられなくて、何よりも自分の仕事の上での非能率的な状態や無能ぶりが悔しく恥ずかしく、もうこれまでと思い、早期退職を決めた。
 退職して3年目である。薬は徐々に減らされ、一番量の少ない抑鬱治療剤だけになっていた。 「状態がよいときは是非飲まなくても結構です。」主治医の先生の言葉が嬉しかった。でもまだ手放すのはこわい。ごく僅かの朝の抑鬱治療剤は、私のお守りであり、これからの人生の同行者のような気がするのである。