2009年06月01日

「わたしと薬」 (福島県・31歳 女性)

 私にとって薬とは、一生付き合っていかなくてはならないもので、現実世界につなぎとめてくれる道具である。私の病気は、統合失調症。症状のひどい時は、幻聴、幻覚、妄想があった。現在は、服薬治療がうまくいき、病状は安定しており、こうして作文を書いたり、簡単な仕事に就くこともできている。
 病気の症状が一番ひどかったときに、私は、家族に心療内科に連れて行かれた。そのときの私の精神状態は、振り返ると恐ろしい状態だった。頭の中が常にぐるぐる回っているような感じがして、テレビを見ると、テレビの中の人が自分の事を言っているような気がする。新聞に書かれていることも自分のことにつながっている気がする。道を歩けば、みんなが自分を知っている気がする。音楽を聴いても、なんだか自分の事を歌っている気がする。また、一生懸命私のことを心配している義理の母親が私に対して、毒を盛っているような気がする。自宅が盗聴や盗撮されている気がするというのもあった。そんな感じで、常に頭の中はやすまらない状態だった。
 そして、私は、そんな精神状態で、当時住んでいた徳島から東京まで、一人で、軽自動車を運転し移動したのだった。そのとき、すぐに家族が後を追ってきてくれて、東京で私は、家族に保護されたのだったが、よく事故もせず、他人にも迷惑をかけず、生きていることができたのは、振り返ってみても奇跡的なことだったと思う。
 病院で、統合失調症と診断されたのだが、しばらくは、担当の医者を信用できなかった。服薬も毒を盛られているようなきがして、なかなかスタートできなかったのだ。しかしながら、家族が熱心に薬を飲むようにいうので、服薬をはじめた。だされていたお薬は、安定剤と抗うつ剤だったのだが、しばらくの期間、服用したら、頭の中のぐるぐるした状態がおさまり、落ち着いた心をとりも出せたのだった。そのとき、感じたのは、こんなに楽な気持ちになれるのだったら、もっと早くお薬に頼っていればよかった。ということだった。
 私には、5歳になる息子がいる。統合失調症は、息子の出産を機に発病したのだった。現在、私は夫と離婚して、息子は、夫と夫のご両親が育ててくれている。息子の事は、愛しているが、息子のこれからの成長していく過程のことや、心の問題を考えると、私が、一緒に暮らしたのでは、あまりよくないと、家族内で、よく話し合って、出した結論だった。だが、私が会いたいときには、息子といつでもあわせてくれるという感じで、そんなに、厳しく追い立てられたというわけではない。
 現在、私は、東北で、小さな会社の事務員をして、毎日を淡々と暮らしている。息子は、四国で、暮らしている。ときどき、息子とは、電話で話をする。息子は、私が病気で、別々に暮らさなければならない事を、理解している。お母さんは、病気だけれども、お仕事をみつけ一生懸命がんばっていることを知っている。息子は、息子で、母親を一番必要とする時期に、母親と離れ離れになりながらも、頑張って生きていると思う。
 私は、いつの日か、また、息子と一緒に過ごせる日々がくることを夢見ている。その大前提が、お薬をきちんと飲み続けることである。お薬をきちんと飲み続けないことには、私は、普通の人として生活していけないのである。
 私の飲んでいる薬は、アリピプラゾールという統合失調症の新薬だ。こういった薬が開発されていたおかげで、私は、発病する以前に近い自分を取り戻し、毎日を乗り越えていく事ができている。統合失調症の十人に一人は、病気が原因で自殺するという論文も読んだ事がある。でもたぶん、私は、自ら命を絶つことはないだろうと思っている。だって、私には、もう一度、いつか息子と暮らすという夢があるのだから。そのためにも、今日も薬を飲み続けるのだった。
 一年ぐらい前、心療内科に入院しているときだった。病棟で、知り合った五十代のおじさんがいて、その人は、二十代に発病した躁鬱病の患者さんだったのだが「若いころは、浮き沈みがはげしくてね、でもその頃は、薬にたよるなんて。というのがあってね。いま考えると、もっとはやくから、薬を飲んでいればよかったよ。」と言っていた。
 心の病は、いまだに偏見があって、私が住んでいるような田舎では特に強い気がする。だから、心療内科に通う事や、安定剤、抗うつ剤にたよることにいまだに、抵抗を感じる人も多いと思う。でも、いまの時代、心の病で、服薬している人は、多くいるし、いい薬も多くでてきている。だから、これから服薬を始める人は、恐がらなくていいと思う。服薬しながらでも、元気な自分を取り戻して、日々を生き生きいきれるなら、それはそれでいいのでは、ないだろうか。