2009年06月29日
「ちょっと、立ち止まってみる」 (北海道・74歳 男性)
中学三年生のときだ。国語の時間に「私と薬局」という題で作文を書かされた。市の商工会が主催して作文を募集していた。学校にも依頼があったらしい。
父が病死して二年、市に出てきた一家は母と私と妹二人の四人家族だった。母が賄いの仕事をして、その収入で細々と暮らしていた。疲れのためか、母は頭痛を訴えることがあった。母を寝かせ、子どもたちで台所仕事をしたが、月に一回くらい九時を過ぎてもよくならないことがあった。薬局や薬店の裏口を叩いて「ケロリン」を分けてもらうのが私の仕事だった。起きてもらえず街中を駆け回ったこともあった。私はそんな経験を記し、薬局の果たしている役割を書き綴った。
自分の経験をありのまま書いたのがよかったのだろう。この作文が最優秀賞に選ばれた。そのときの写真と新聞の切り抜きが私の数少ない宝物の一つになっている。
サイトで今回の募集を知ったとき、最初に浮かんだのは六十年前のこの出来事だった。次に、このところ増え続けている薬のことだった。薬とは呼べないサプリメントも入っているが、何とかしなければならないと思っていた。
私は六十歳で退職したが、そのときから「血小板血症」といって、血小板が異常に増える病気で月に一度、かかりつけ医のところで血液検査を受けている。ひどいときには二百万を超える。血小板の機能からから梗塞等の凝固作用が案じられるが、時に逆に溶解作用を示す場合もあるとか。実際に、二回ほど下血したから、安易に血液さらさらの薬を常用するわけにもいかないようで、抗癌剤で数値を抑える治療が続いた。
抗癌剤の副作用は少なかったが、他の臓器や骨髄に及ぼす不安からは逃げられなかった。寝付きが悪くなり、ちょっとした身体の異常にも敏感になり果ては自律神経が冒されるに至った。かかりつけ医の助言で脳神経医、自律神経医の診断を受けた。そのたびに投薬の種類が増えた。
血小板血症は一種の血液癌である。梗塞や出血以外に白血病への進行が危ぶまれた。この不安が生み出したこころの病いだから、おおもとの「癌」という文字に著しく反応した。テレビ、新聞、雑誌のCMや広告に近く認可されるとか、大学医学部教授の推賞があったり、効果に感激する体験談などを読むと、一月ぐらい試してみようかなと思うのである。
この種の製品は決まって「まとめ買いは何割引」となっている。さらに、「血をきれいにする」、「免疫力をつける」、「セットで買うと効果的」というパンフが送られてくる。どこから住所や名前を知ったのか、血圧、血糖、総合ビタミンなどの案内も送られてくる。
サプリメントは病院で出される薬とおなじ扱いにはすべきでないのだろうが、食後、掌に一まとめ載せて頬張るのだから、ほとんど薬と同じである。まさに薬漬けの生活である。自分でも呆れるが、周囲を見回すと、私ほどではなくとも薬やサプリ依存傾向の人は多いようである。どう考えても健康的とは言えない。
改善しなければとちょっと立ち止まる。当事者の変革が何よりだが、関係省庁や病院、医師、薬剤師、製薬会社等の商業主義からの脱却も必要である。
商業主義と決めつけたが、例えば薬の種類の多さが上げられる。飲みやすく効果があるというのは重要である。会社が他の薬よりも秀でたものを開発する努力は否定しない。だが、どこまで追っかけるのだ。「ビルブック」という薬の事典がある。同じ効能の薬が何十と並んでいる。医師がその中から一つを選択するのだが、その根拠は何だろう。
薬局にも言える。同じような薬が所狭しと並んでいる。薬剤師はその効能の違いを知っているのだろうか。製薬会社の営業マンの口写しだとしたら寂しい。責任を持って薦められる範囲の薬を並べられた方が買い手には親切である。特売セールをする店があるが、あれも不可解である。健康食品を並べてある薬局がある。本当に効果があるのか、疑似表示、誇大表示ではないのか、薬剤師さんには積極的にそんな検査をしてもらいたい。
要は、患者が「いいお客さん」扱いされてはならないと思うのだ。患者は薬剤師を、医師を、製薬会社を信じ、任せきっていることを忘れないでほしいのだ。医療行政に携わっている人は特に患者の側にいてほしいのだ。
「ケロリン」を求めて夜道を駆けたころが何故か懐かしい。我が家では頭痛といえば「ケロリン」と決まっていた。実際によく効いた。薬を飲むと母は間もなく眠った。そして翌朝、私たちが起きるころにはもう仕事に出かけていた。

