2009年07月09日

「売薬さん」 三島麻緒(愛媛県・60歳)

 子供のころ、「売薬さん」と呼んでいた富山からの薬屋が訪れてくるのが、楽しみだった。年に二度ばかり、やってきた。荷台の大きいがっしりした自転車が庭先に止まっていると、遊びをほうりだして、急いで土間に駆け込んだ。母はすでに箪笥の上から薬箱をおろしていて、売薬さんはその引き出しをあけると、置いていた薬の数を調べていた。使った薬の数だけ支払うしくみになっていた。新しく薬を追加する時、子供の多い家では、すこし多めに腹痛や風邪引きの頓服薬、絆創膏を勧められることがあり、母は笑ってうなずいていた。
 母の楽しみは、実は支払いや注文が終わった後の、世間話にあったようだ。どこそこの家に孫が生まれた話、隣村の娘の婿取りのこと、天候の心配、食べ物や着物の流行、それにまだ行ったこともない名所の美しさなど、話が尽きることはなかった。農家の嫁としての苦労話も、おそらく話したに違いない。いつも笑顔を絶やさず、間のいい返事やうなずきを繰り返す、聞き上手な老人だった。母にとっては、息抜きのひとときであり、癒される時間でもあったのだろう。
 子供は私を頭に弟が一人、妹が二人いたが、私たちの楽しみは、売薬さんが帰る時にくれる紙風船だった。一人あて二袋もらった記憶がある。もらうと、しばらくは「風船つき」が遊びとなった。食い合わせを描いた絵をもらうことがあったが、それは色鮮やかな彩色のもので、台所の流しの上に貼られた。朝夕見上げているうち、自然と食い合わせを覚えた。これを食べると、本当にどうなるのだろうと、子供心にも恐かったものだ。
 わずか二度ばかりしか来ないにもかかわらず、私たち兄弟姉妹の歳のことなどをよく覚えていて、前に訪れた時、ちょうどすぐ下の妹が腹痛をおこしていたことなども、忘れてはいなかった。今にして思うと、その売薬さんは、懸場帳にそのようなことも詳しく書き込んでいたのだろう。医師のカルテと同じである。私の生まれ育った村には、当時医院がなく、病気になると隣村まで行かねばならなかった。売薬さんは、ちょっとした病気なら相談にのってくれる、村人のホームドクターでもあった。
 あの時はもう、私が小学校の高学年になっていたころである。いつも来ていた老人とは違う、若い売薬さんが訪ねてきた。暑い夏のさかりであった。やっとの思いで我が家を訪ねあてたらしく、流れるような汗だった。母は急いで井戸水で梅酒をつくり、差し出した。彼はそれを一気に飲み干すと、ようやく人心地がついたようだ。
 私たち子供は、母の後に行儀よく並んで坐り、その様子を見ていた。若いその売薬さんは、いつも来ていた老人の息子だった。地元の大学薬学部を出で、しばらくは製薬メーカーに勤めていたが、決心して父の跡を継ぐことにしたのだという話だった。
 私が住んでいた村から、瀬戸内の海に向かって十里ばかり行くと、城下町がある。四国でも有数の城下町なのだが、そこに先代が常宿にしていた商人宿があって、これから10日あまりそこに泊まりながら、懸場帳を頼りに回商するらしい。
 彼が父から引き継いだ懸場帳は、私の村のような山あいの村々が大半らしく、それを自転車で回らねばならない。他人の懸場を歩かないというのが、彼らの暗黙の了解になっているらしい。そのほうがつき合いも深まり、訪れる家の者の既往症なども、なおざりにしなくなるものだと言う。
 ーもう、単車の時代になりました、そう言いながら薬箱の一番下から取り出したのは、いつもの紙風船ではなく、ゴム風船だった。たぶんその時、受け取る私の表情が、一瞬怪訝そうな面持ちになったのを、見逃さなかったのだろう、ー今はこのほうが喜ばれるんですよ、そう母に言った。
 引退した彼の父親は、今は農業をしているらしく、寒い富山ではこれからが田植えらしい。昔の売薬さんは、ふだんは農業をしていて、農閑期になれば懸場を回ったものらしい。母は嬉しそうに、農作業のことをこまごまと聞きながら、うなずいていた。
 彼は父からこの仕事を引き継ぐことになった時、二つのことを教えられたと言う。一つは、その土地を訪ねたら、その土地の風土を知るように努めること。二つ目は、大事なことは他人から学ぶこと、だったと言う。まだ今の私には、父の真意がどういうところにあるのか、十分には分からないのですが、彼はそう言いながら微笑んでいた。
 それは、今の私も同じである。ただ、その人の生地まで訪ねて病者にあうというのが、「売薬さん」の仕事である。生きてきた環境を知ることは、医師であれば患者を知るということであろう。一昔前、私の生まれた村のような不便な土地では、売薬さんの、まさに「天の配剤」によって救われたこともあったのである。
 見立ては、大事である。その時の判断基準が大幅に狂わないためにも、話しながら、病者の気持ちまでもくみ取る必要がある時もあろう。もちろん、第三者の客観的意見は、大切である。「医」は、「いやす」と訓む。
 今も私の家の箪笥の上には、薬箱がおいてある。