2009年08月28日
「わたしと薬」 下瀬 文 (東京都・35歳)
「頭が痛い」「気分が悪い」「何かクスリをくれ」と、言い続けて通院していたかつての彼は、全く症状が改善せず。常に不平を辺りに振りまいていた。そんなある日、私は「これ昨日飲んだら、すぐに頭痛が去ったよ」と手渡した。服用した後に、ベッドに横になった彼の顔に接吻のシャワーを浴びせた。
数分後、彼は「あっ、痛みが去った」と言った。不安症、心身症、思い込みの激しい彼に私は、ラムネに近い錠剤形のお菓子を渡したのだった。
常に、「病は気から」と育てられた私にとっては、病気とも無縁。クスリとも無縁だっただけに。愛してはいるけれど、彼の小言に疲労感を募らせていた。
彼とは、結局別れたけれど。「病は気からよ」と言って聞かせる方法ではなく。ウソも方便を実行したつもりだった。
私は、十代の頃から生理痛がひどい。この痛みから解放されるなら、何でもします。と、祈りたくなるほど、ひどい。でも、なるべくクスリの服用を避けた。母の助言もしかり。彼女は、「クスリによって一時的に痛みを回避していたら、いつの間にか免疫が出来てしまって、だんだん効用が無くなるのよ。それよりも、女性に生まれて来た悦びと、新たな生命の誕生を迎える為の準備と思いなさい。」と言い続けた。よって、私は未だに生理痛の苦痛に耐えている。
愛する人が苦痛を訴えたとき、自分が出来る最善の事はなんだろうか、と考えた。クスリで緩和されるのなら、その苦痛を少しでも取り除いてあげたいと思うのは当然だ。一方で、その痛みの根源が判っているのであれば、母の助言は正しいと思う。
人は皆自分自身が一番大切である。と同時に、愛する人が苦しんでいれば、それを助けたいと切望するのが人の心のあり方であると信じている。わが子を身の危険と隣あわせで誕生させた母の言葉の力強さと、彼を想ってが為の正しい行動だったのかと考えさせられるクスリと私の経験談。
ただただ今は、どこかで元気で働いてくれていればいいなぁ、と願う次第である。

