2009年08月28日

「お願いします」 神馬せつを(石川県・61歳)

 病院の待合室は、どこか空気が淀んでいて、いつも重苦しさを感じます。
 ほとんどの人が病気や傷を負っているわけですから、笑顔が少ないのも当然でしょう。
 もう十数年も病院の世話になっている私だって、待合室で笑ったことなんて一度もなかったように思います。
 ところが、待合室で小さな事件に遭遇してから、病院に行くのが楽しみになりました。

            ◇  桜の季節でしたから、もう半年前のことになります。
 大学病院ですから、症状によって待合室も違うのですが、たまたま工事中で産婦人科と内科が同じ待合室を使うことになりました。
 私はというと、交通事故の療養中にガンが発見され、骨折や形成の治療をしながら抗ガン剤を服用してガンの摘出手術を受けるという、ややこしい患者でした。
 ガンの手術が無事終了したとき、担当医から言われた言葉が今でも心に残っています。
 「あなたは交通事故で家族を亡くしたり、長い療養生活を送るようになりましたが、もし事故に遭わなかったら、間違いなくガンで命を落としていましたよ。ですから、生きていること、生かされていることに感謝しながら日一日を大切に過ごしてくださいね」と。
 そんなことがあって、定期検診に通う待合室でも、できるだけ患者さんの気持ちをほぐすように努めてきました。
            ☆
 そんなある日でした。
 赤ちゃんの頭をすっぽりとタオルケットでくるんで順番を待っている、若いお母さんと出会いました。
 重苦しい雰囲気が漂っていたので、私自身の療養生活のことを、少しおどけて話してみることにしました。
 すると、その赤ちゃんは生まれつき重い皮膚病を患っていることを、お母さんが告白してくれました。
 ちょっと強引過ぎるとは思ったのですが、お母さんの了解を得てタオルケットをはがしてみると、それはそれはかわいい赤ちゃんが顔を見せてくれました。
 私は精一杯の笑顔で、お母さんに語りかけていました。
 「かわいい赤ちゃんじゃないですか。今の医学は進んでいますし、いい薬が研究開発されていますから必ず治りますよ」
 「それより、こんなにかわいい赤ちゃんの顔を隠してなんかいたら、赤ちゃんにも神様にも失礼ですよ。神様だって、このお母さんなら大丈夫だと信じて、この赤ちゃんをあなたに授けてくださったのですから」
 そう話すと、若いお母さんは「はっ」と気づいたように明るくなり、タオルケットをむしり取るようにして診察室に入っていきました。
 その日から数日後。待合室で出会った赤ちゃんの頭には、もうタオルケットはありませんでした。
 お薬を塗ったところに、小さな絆創膏が貼られただけでした。
             ◇
 病院に通っていると、いろんな赤ちゃんを目にしますが、どの赤ちゃんも本当に可愛く思います。
 そんな赤ちゃんを見ていると、いつも心が癒されます。交通事故で天国に逝った娘の赤ちゃん時代を懐かしく思い出しながら、いつもキュンと胸を熱くしています。
 そこで若いお母さんに「お願いします」。
 大切な赤ちゃんを病気から守り、すこやかに育てるために、どうぞ「お薬」のことを知り、勉強してくださいね。