2009年08月31日

「いつかさよならするために」 (千葉県・27歳 女性)

 お菓子を食べるように、ごく自然に薬のシートを開け、当たり前のように口の中へ放り込む。ゴミ箱は薬の空きシートでいっぱいだ。
 私の生活では、薬は非日常ではなく、完全なる日常の枠組みに入っている。綺麗な朝焼けを見ながら、苦痛に顔を歪ませ、小鳥のさえずりを聞きながら、少しでも痛み止めが効くのを待つ。そんな時、なんて時間は残酷なのだろうと、心底思う。

 十二歳の時、重度の月経困難症と診断され、婦人科病棟に一ヵ月半入院した。そして十七歳の頃から急激に悪化し、薬は更に強いものへと変わっていった。
 薬に副作用はつきものだ。皮肉なことに治す為に飲んでいるはずの薬に、体は確実に蝕まれてゆく。そして、その副作用を補う為に、また新しい薬が追加される。そうして十五年間、私はたくさんの薬と共に生活している。

 私の家には、いたるところに薬が置かれている。机の上、ベッドサイド、本棚、玄関に廊下に洗面所、そしてバックの中。そしてまた、すぐにそれらが飲めるようペットボトルの水も傍らに置かれている。

 無機質に包装されている薬達は、それだけでも十分に暗たんたる光を放っている。一向に私から歩けない程の激痛を取り払ってくれない、それらを恨めしく睨みつけながらも、少しでも気分が紛れるようにと、薬達を驚くほど綺麗なガラス細工の中に入れたり、愛らしい入れ物に入れたりした。
 自分達の居場所はここではない、と言わんばかりに薬達は窮屈そうで、居心地が悪そうに見えた。  もし薬達に感情があったのなら、さぞ困惑していることだろう。そんな姿を想像したら、思いがけず笑みがこぼれた。それは久しぶりの笑顔だった。

 それから私は薬達との接し方を変えてみた。生理が来る度、美しい柄の折り紙で箱を作ったり、人形やアクセサリーと一緒に置いてみたりもした。最初は、勘弁してくださいよ、なんて声が聞こえてきそうなほど、場違いだった薬達も、次第に重苦しい雰囲気を消してゆき、馴染んでいった。
 端から見れば滑稽というよりは、異様な光景だろうが、私は薬達と仲良くしてゆこうと決めたのだ。

 薬がひとつ増える度、私は病院の帰りに雑貨屋やギフトショップへ足を運んだ。誰にプレゼントする訳でもない。薬達に居場所を与える為だ。
 私にとって薬とは、自分と他の子は違うという痛い事実を、嫌でも自覚させられる存在だ。苦痛と絶望を私に与えるが、それでも諦めるな、と訴えかけられているような気もする。
 そう、薬は私が長年欲している「普通」の「日常」を取り戻す為の架け橋でもあるのだ。 望みは薄くとも、諦めたくない。

 そして、今日も明日も明後日も、薬達を飲み続けるのだ。
 いつか、薬達とさよならできる日を信じて。