2009年08月31日
「信頼への新薬開発を」 (東京都・17歳 男性)
わたしたちの暮らしの中で、薬があふれている。また、テレビコマーシャルや新聞、雑誌などにも様々な形で薬が取り上げられている。薬局に行くと、風邪薬、胃腸薬、睡眠薬など身近な家庭薬が所せましと並べられていて、ことかかない。しかし、これだけの薬が大量に出回っているにもかかわらず、多くの人々が病で倒れ、命をおとしている。
その原因として、主に心臓病や癌、脳卒中といった疾患があげられる。最近では、忘れかけていた結核患者までが増え続けている、というから驚きだ。しかも従来のペニシリンでは効果がうすく、対応しきれなくなってきているのが実状のようである。さらに怖いことには、鳥インフルエンザや、豚インフルエンザなど、人に感染する新型インフルエンザが登場し、世界の国々を不安と恐怖に落としいれている。
こうした病気の危機が、わたしたちの間近に起こりつつあるのに、今もって在来の薬では対応しきれないでいる。特に新型ウイルスでは、予防や治療薬としての充分な役割を果たし得ないのだ。それに新型用ワクチンが製造されたとしても、その間に多くの人が死亡することだって考えられる。
ともすると、私たちは既存の薬に依存しがちだが、これだけでは大切な人の命を守ることはできない。それには、例えば癌など、外見では判断しにくい病気にはなんとしても早期発見が望まれる。まわりを見ると、すでに手遅れというケースが、あまりにも多すぎる。
従って、これからの医学は予防医学が重点でなければならないし、これこそが、最も効果のある予防薬と考えられる。病気にかかることを未然に防ぐ予防薬の重要性を今、私たちに求められている。また、予防といっても、個人差があるので、これまで以上に個々の細部のデーターに基づく予防薬の開発が望まれる。そして、集団から個人へと薬の開発に向かって行かなければならないし、そのための開発費用をどう捻出するかも同時に問われる。
さらに予防薬でも、従来の概念を改めなければならない。例えば、薬物ではないが、手洗いや、うがいも勝れた予防薬と見なすことである。というのは、菌やウイルスは手や、のどだけではなく服や体にいたるまで、様々な場所に付着しているのだ。従って、電車に乗ったり、人ごみの中に入ったりした時には、自宅の玄関前で上着を脱ぐことも家族への思いやりであり、感染予防策であり、予防薬なのだ。
私たちは、糖尿病を成人三大病の一つに数えているが、これなどは生活習慣病という別名がつけられているくらいだ。生活習慣病とは、生活習慣の乱れからくる病気のことだ。おどろくべきことに、日本においては病死の約3分の2の人が、生活習慣病が原因である。これなどは私たちの病気に対する意識の低下がもたらしたものといえる。ともすると、そうした病気になると、病院に行って薬をもらって飲めばよいと軽く思いがちだが、薬を使うことがあながちよい治療法とはいえない。特に生活習慣病で薬を使うのは身からでた錆でもあるからだ。本来ならば、薬を使わないですむものが、薬を使うほどの体質にしてしまった自己管理のあまさなのであって、大いに反省しなければならない。
とはいえ、私たちは大いに薬に助けられ、安心できる生活を送っている。このところ世界中を震撼させている新型インフルエンザだが、結局、リン酸オセルタミビルや、ザナミビルなどが現在の新型インフルエンザに有効と知り、ほっとしているところだ。もっとも未成年の使用には医師の許可が必要だが、いざという時の救いの薬が存在するだけでも頼もしい限りだ。
近年、日本でもHIV患者が増加していると聞く。ひと昔前まではHIVにかかると絶望的であったのだが、新薬の開発によりエイズの発症を大幅に遅らせることが可能となった。そして、薬は、私たちの住むこの世界に、安心という名の秩序をもたらし、健全な生活を築くための大きな柱として存在している。その存在は極めて大きく、薬なしで私たちが生き延びてゆくのは困難だろう。疫病に脅やかされ、感染者の尊厳さえも踏みにじられていた時代は、いずれ終わるだろう。いや、そうであってほしい。
これからの私たちが進むべき道は、突然にふりかかる病に対する心の準備、前途を悲観せず、人生を踏み外すことのない前向きな思考、いかなる状況に於いても夢を絶やさない堅固な精神力を培うことにある。その大きな支えとなるのが予防を含めた新薬の開発である。同時に私たち自身、薬という暗いイメージから明るいイメージへと転換する必要がある。それには新薬開発への絶対的な信頼があってこそである。


