2009年08月31日
「人生を生み出す薬」 (秋田県・46歳 男性)
ひと月ほど前、七十一歳になる母が体調を崩した。夏風邪をひいたらしく咳が出て、熱も三十八度から三十九度まで上がり、母は数日間寝込む羽目に陥ったのである。日頃から健康状態に不安があった母だけに、家族の皆が心配し、家に重い空気が漂った。
なかなか回復しない母を見かねて、近くの内科医院へ連れて行ったところ、何種類もの薬が処方された。やはり、風邪をこじらせたとの診断である。家に帰って母の飲むべき薬をテーブルの上に並べていると、思わずため息が出てしまうような量であった。
母は以前から骨粗鬆症を患っている。若い頃は父よりも上だった母の身長が、今ではすっかり縮み、背中と腰は不自然に丸く彎曲してしまった。加齢に伴い骨が徐々に潰れていった結果である。骨粗鬆症の薬を飲み始めてからは症状の進行も抑えられている。発病以前と比べて、母は日常動作に何かと苦労するようにはなった。それでも寝たきりの状態を避けらたのは、専業主婦として若い頃から寸暇を惜しまず家事をこなし、年を取ってからも勤勉に働き回っていた母だからこそである。
だがそんな母に病魔はさらに襲いかかった。今年の一月下旬のこと。母の様子に突然の異変が生じたのである。母は頻りに体のだるさを訴え、当初は風邪をひいたのだろうと思っていたが、風邪にしては咳や熱がなく、どうも様子がおかしい。体調不良もさることながら、母の喋り方が今までになく聞き取りづらく、どうも呂律が回っていないようなのである。歩き方を見ていてもふらついてまっすぐ歩けず、母は動くのも大儀そうであった。
テレビや新聞等で見るさまざまな実例を通して、その症状が脳梗塞によく似ているとは私たちもすぐに気がついた。まずは近くのかかりつけ医に母を診てもらったところ、やはりその疑いが濃厚と診断され、中央病院の脳神経外科を紹介された。私が運転して病院へ向かう車内の空気は、非常に重苦しいものだった。母の命に関わることだから当然である。
病院では直ちにCT検査にかけられ、予想通り母が脳梗塞を起こしていたと判明する。ただし医師の説明はそれほど深刻な響きを帯びていなかった。詰まったのは幸いに、比較的細い脳血管であり、今すぐ命に関わる状態ではないという。母は入院せずに在宅で通院治療する方法を選んだ。
抗凝血薬に加えて降圧剤も処方されたのは、病院で測定した母の血圧が非常に高く、収縮期血圧の値が二百を超えていたからである。母はもともと低血圧の体質だっただけに、まさか高血圧だとは、母自身も私たちも想像しなかった。医師に強く勧められ、私は市販の血圧計を買いに走った。家で毎日三回、定時に母の血圧を測り、病院から渡された血圧手帳にその数値を書き込むのである。脳梗塞再発のリスクを低くするには、食事療法に加えて、高血圧を改善するのが近道だという。
その日から薬による治療が始まり、母の飲む薬は一気に増えた。テーブルの上にずらりと薬を並べ、必死の形相で一つ一つ飲んでいる母の姿を見ていると、病と闘おうとする母の決意がひしひしと伝わってきた。まだまだ自分は死ねない、私たち家族のために家事をこなし、家を磨いていかねばならない、と、そんな母の内なる声が聞こえるようだった。
降圧剤の効き目は、飲み始めてから二週間が過ぎる頃から徐々に表れ、高かった母の血圧もやがて正常値にまで下がった。その数字と歩調を合わせるかのように、脳梗塞の症状も軽減していき、今では以前とほとんど変わらぬ生活を母は取り戻している。老骨に鞭打ちながら炊事・洗濯・掃除をこなし、自分の足で歩いて買い物にも出る。嫁に行った妹の愚痴も聞いてやる。そんな母である。
それにしても母の飲む薬は多い。骨粗鬆症治療薬を飲む日の朝には、これに抗凝血薬と数種類の降圧剤が加わり、風邪の治療に処方された数種類の薬も加えて、母の飲むべき薬が十数種類もテーブルに並んだものである。この光景を目にして、私は頭を抱えたくなった。少食な母のことだから、へたをすれば食事よりも薬の量が多いくらいである。
だがこれらの薬のおかげで母の今があるのだ。骨粗鬆症も脳梗塞も、母は薬の力を借りてはね返した。こじらせた風邪も、薬を飲み始めてから数日で劇的に回復していった。牛乳を飲めず、肉も食べられない。極端な偏食家の母なのに、薬だけは好き嫌いを言わずによく飲む。まるで食事の一部であるかのように、母は涼しい顔で何種類もの薬を飲み下す。
我々は「食」というものに、楽しみを求めすぎるのではないか……母を見ていると、そんな気さえしてくる。薬のおかげで寿命が延びても、それが薬漬けの生活では味気ない、と思っていたが、その浅薄な考えは撤回することにしよう。薬が新たな人生を生み出す──そう思える人の方が幸せではないだろうか。


