名医が教える病院選びのコツ 稲波 弘彦 :稲波脊椎・関節病院/脊椎脊髄疾患

 
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「自分が受けたい医療」を
患者に提供するという信念を貫く

 
日本全体の脊椎内視鏡手術数は年間約1万例といわれる。稲波弘彦医師が率いる岩井グループはその1割以上を占める年間1300例以上の手術を手掛け、累計では9000例を超える。脊椎内視鏡手術の第一人者として日本トップクラスの実績を誇る稲波医師に話を聞いた。

 
■取材
医療法人財団 岩井医療財団 理事長
稲波脊椎・関節病院 院長

稲波 弘彦 医師

 
稲波脊椎・関節病院 ホームページ
 

複雑にもつれた糸も結び目を1つずつほどけばきちんと元通りになる

──医師を志したきっかけは。
 
稲波 生まれ育ったのは神戸の須磨です。海と山がとても近い土地柄、真っ黒になって遊び回っていました。一方で機械いじりが好きでした。アナログの目覚まし時計を分解して、元に戻そうとして戻らなくなってしまう。そのようなことを繰り返していました(笑)。
 
 釣りもよく行きましたね。あるとき数十センチのテグス糸がこんがらがってしまったのですが、父が数時間かけて根気強く、その糸を解きほぐしてくれました。手術でも先が見えない状況があるのですが、「糸の結び目を1つずつ丁寧にほどいていけばきちんと元通りになるのだな」と父に教えてもらったと感じています。
 
 小学校3年生のとき、東京に引っ越しました。中学・高校は麻布学園です。質実剛健とは少し違う校風で、「勝手気ままに自由にやれ」という雰囲気でした。と同時に、一生懸命に努力することをどこか斜に見ているところがある。都会的ということでしょうか。

東京六大学自馬競技大会中障害優勝、関東学生総合馬術競技3位と、学生時代は馬術でも優秀な成績を収める

東京六大学自馬競技大会中障害優勝、関東学生総合馬術競技3位と、学生時代は馬術でも優秀な成績を収める


 当時は学生と機動隊が衝突し、「革命」を信じている人がいて、麻布もロックアウトする時代でした。私は麻布?楽部(雀荘)に入り浸り、「普通のサラリーマンにはなりたくないな」と漠然と思う日々でした。そんなとき友人が、「体制がどんなに変わろうとも、医師は常に必要とされる」と言っているのが妙に心に残りましてね。それが、医学を志すきっかけでした。
 
 東京大学には2年連続で入学しました。1年目は理科Ⅱ類。十数人は医学部に行けるシステムを活用しようとしたのです。ところが1年の馬術部の夏合宿で股関節を痛めてしまい、乗馬ができなくなって退学することにしました。だって、馬に乗れなければ、大学に行ってもしょうがないでしょ?(笑)。翌年、受験し直し、理科Ⅲ類に合格しました。
 

そのとき同級生が「これからは内視鏡の時代」と言った

──整形外科医として、どのようにして技術を培ってこられたのでしょうか。
 
稲波 整形外科教室を選んだのは、機械いじりが好きだったのと、整形外科は硬くてしっかりしたものを扱うので、いわば大工仕事の延長で親しみやすく感じたからです。
 
 最初は手の外科でした。ちょうどマイクロサージェリー、顕微鏡下の手術が隆盛し始めた頃です。症例はプレス機に手が巻き込まれるなどの労働災害のほか、先天奇形や腫瘍などがありました。
 
 手の小さい関節再建手術で気付いたことがありました。関節背側脱臼骨折の損傷は整復が難しく、術後に拘縮(こうしゅく)が起きやすい。そこで可動域を確保しながらリハビリができないかと考えました。症例を重ねて、骨折部を固定しながら指関節を牽引して動かせる「パンタグラフ型手指創外固定器」を発明しました。
 
 その後、労働省(現・厚生労働省)による労働安全衛生法が整備され、手の骨折症例は激減します。大学を離れて開業した頃、「自分ならこういう手術を受けたい」と望むことをやるのが一番だと思っていましたが、同級生が「これからは内視鏡の時代だ」と言うのを聞き、モチベーションが上がりました。
 
 早速、その同級生を手術場に招き、内視鏡の手技を見せてもらって、「これなら私にもできる」と思いました。そこで2例目は自分で執刀しました。マイクロサージェリーを経験していると、内視鏡は難しいものではなかったのです。2001年の暮れのことでした。
 
 実際、手よりも背骨の方が数段面白かったのです。怪我であれば、切れているところをつなげればいい。でも脊椎の病気では、関節や椎間板が悪い場合、ヘルニアがあっても悪くない場合もある。狭い場所にいろいろなものがあり、何が原因なのか診断する難しさがあり、それが汲めども尽きない興味につながるのです。従来の大きくたくさん切る手術をしなくとも、それと同じような効果が、細かい診断とピンポイント治療で可能になる。そんな新しいことへの挑戦という意味でも、内視鏡には大きな魅力を感じました。
 

できるだけ狭い範囲の手術でよい成績を挙げるために

──現在の取り組みや注目していることは。
 
稲波 まずは内視鏡による、時間のかからない低侵襲手術です。MEL(内視鏡下腰椎椎弓切除術)では、患者さんの背中を18 ㍉ほど切開してチュブラーレトラクターという金属製の筒を挿入します。ノミを使って椎弓を切除し、その中を内視鏡で見ながら手術し、鋭匙(えいひ)で両側の肥厚(ひこう)した黄色靭帯を慎重に切除。硬膜の拍動が良くなり、圧迫が取り除かれ、30分ほどで終了します。
 
 MED、PELD(経皮的内視鏡下腰椎椎間板摘出術)は20分程度、ME-PLIF/TLIF(腰椎椎体間固定術)、XLIF(腰椎側方椎体間固定術)などの例でもほぼ70分で終了します。中でもME-PLIF/TLIFでは、チュブラーレトラクターを通してcage(椎間板の代替物)を挿入する手技を開発しました。また、神経の入っている管の外側部分は診断がつきにくいのですが、私はその病態を調べたい一心で、東大の解剖実習室で何回か献体を解剖させてもらいました。このように他の人たちが分かっていないところを自分が理解し、新しい手術ができることはとても面白いですね。このほか、腰部脊柱管狭窄症手術のXLIFでも内視鏡を導入し、独自の低侵襲手法を編み出しています。これらは固定術でも輸血がなく、副作用である感染症も少ないことが明らかになっています。
 
 できるだけ狭い範囲の手術でよい成績を挙げる――いわゆる最小侵襲のためには、ピンポイントの正確な診断が必要となります。私の施設では他の施設にはなかなか見られない高解像度のMRI画像データに加えて神経線維の走行方向を描出するMRトラクトグラフィーなど、先端を行く撮像技術を駆使することで、病変位置のより精密な診断が可能となっています。病巣以外の部位を傷つけず、身体の負担を最小限に抑える手術には、これらの技術は必須と言えます。
 
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患者さんに良い医療を提供することが結局は最高の戦略

──「優れた医師」になるためには何が必要だとお考えですか。
 
稲波 尊敬する先生の言葉を借りれば「医療人である前に、まずは社会人たれ」ということです。さらに言えば、「自分が受けたい医療」を自分で実践している医師は、信用できると思います。
 
 良い医療を提供することが、結局は最高の戦略です。良いことをきちんとやることで、スタッフも元気になるのです。自分の施設が、他の施設よりも良いことをやっていると思えば、そして少しでも新しいことに挑戦しようとすれば、モチベーションは確実に上がります。職員が幸せになるのですね。
 
 日本整形外科学会の定款に「目的」という項目があるのですが、その「整形外科学の発展に寄与することを目的とする」という表記の頭に「国民の健康と福祉と」という文言の追加を提案したことがあります。
 
 この提案は受け入れられ、学会の定款は変更されました。整形外科学の発展だけが目的であれば、世の多くの臨床医はその範疇から外れてしまいます。しかし彼らは国民の幸せに大いに貢献している。その意味で「目的」の変更には大きな価値があったと思っています。
 
──信頼できる医師を探す際に注目すべき点についてお聞かせください。
 
稲波 3つ挙げられると思います。1つ目は、少なくとも2つ以上の選択肢を提示してくれること。患者さんの価値観は多様なのですから。2つ目に、セカンドオピニオンを嫌がらないこと。本当に自信があれば、嫌がるはずはありません。
 
 そして3つ目は、「先生が私だったら、同じ治療を受けますか」と尋ねて、きちんと答えてくれることです。