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      <title>Web医療新聞　患者さんのための医療情報</title>
      <link>http://www.jmnn.jp/</link>
      <description>Web医療新聞は、信頼性の高い医療関連企業や団体からの情報を患者さんのために提供する医療ポータルサイト。気になる病気について知りたい時に安心して調べられます。</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2010</copyright>
      <lastBuildDate>Mon, 26 Oct 2009 18:07:21 +0900</lastBuildDate>
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         <title>視野欠損チェックシート『クロックチャート』プレゼント</title>
         <description><![CDATA[<p>ファイザー株式会社（本社：東京都渋谷区、代表取締役社長：岩崎 博充資本金：648億円）は、日本人の40歳以上の20人に1人が罹患しているといわれる緑内障の啓発活動の一環として、その主な症状である視野欠損のチェックシート「クロックチャート」(非売品)を抽選で1,000名様にプレゼントいたします。<br><br>

「クロックチャート」は、近畿大学医学部眼科学教室教授　松本長太先生により開発されたもので、真ん中の赤い点を片眼で見つめたままチャートを回し、周りに描かれた生き物が消えるかどうかで視野の欠けをチェックします。<br><br>

緑内障は、日本における中途失明原因の第1位です<sup>*）</sup>。なかでも、眼圧が正常であるにも関わらず視野が欠けていくタイプの「正常眼圧緑内障」は全体の約7割を占めています。正常眼圧緑内障は眼圧検査だけでは発見できないため、眼底検査と視野検査も必要です。緑内障は、自覚症状が乏しいまま症状が進行し、気づいたときにはすでにかなりの視野が欠損していたというケースも少なくありません。障害を受けた視神経は治療を行っても元に戻らず、失われた視野も回復しませんので、少しでも早く発見し、適切な治療を受けることが肝心です。</p>

<p class="small">*）厚生労働科学研究研究費補助金難治性疾患克服研究事業 網脈絡膜萎縮・視神経萎縮に関する研究 2006より</p>
]]></description>
         <link>http://www.jmnn.jp/archives/002/post_387.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">メディカルプレスリリース</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 26 Oct 2009 18:07:21 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>作文・応募作品  「わたしと薬」　 （愛知県・３４歳　女性）</title>
         <description><![CDATA[拝啓　チアマゾール様<br><br>

　私とあなたが初めて逢ってからもうじき10年が経ちますね。思えばバセドー病の症状が安定していなかった最初の頃は、お医者様からいただいたあなたを毎食後２錠ずつ飲んでいました。<br>
　今から思えばすごい量のあなたを私は摂取していたのですね。そうして、旅行に行く時も、試験を受けに行く時も、出張に行く時も、どんな時でも私はあなたを持ち歩きましたよね。今でこそ、症状も落ちついて、一日一錠という摂取量がひとつの目安になっていますが、あの頃は本当に大変で、量を多く飲みすぎたら飲みすぎたで、体調が悪くなり、鬱症状も出たりと、精神的にもとても辛い日々が続きました。そして、少し症状が安定したからと、量を減らしてみると、とたんにまた体調が悪くなって、動悸や息切れ、眼球突出等々バセドー病特有の症状に悩まされました。<br>
　時に、効きすぎるあなたを恨んだり、また逆に、あなたのおかげで毎日一応日常生活を送ることができることに感謝したりもしましたね。私にとって日々の生活を快適に、そして健康で前向きな気持ちで過ごすことができるかどうかは、あなたとの適度な距離をどのように保つかにかかっていたといっても過言ではありません。<br>
　初めて摂取してから10年が経とうとしている今、あなたは私にとって最も身近な薬となり、適度な距離の保ち方もわかってきて、今では毎日を共に戦う戦友のような気持ちさえわいてきています。私が日々平穏に暮らしていけるのは、間違いなくあなたがいてくれるからです。ありがとう。そして、これからも毎日の戦友として、どうぞよろしくお願いします。<br><br>

敬具]]></description>
         <link>http://www.jmnn.jp/archives/007/post_386.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">作文コンクール</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 31 Aug 2009 22:00:53 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>作文・応募作品  「桜アンチエイジング」　本田しおん （東京都・１７歳）</title>
         <description><![CDATA[　毎年３月に入ると、私は連日夕方の定時ニュースでの「桜前線」予報が、何故か気になり喰い入るように見てしまい、その上、満開の桜の下での花見をイメージし、気分がウキウキしてしまうのが常である。私が小学校に入学した11年前には、満開の桜の元での入学式の記憶が甦ってくるが、ここ数年ソメイヨシノの開花は、徐々に前倒しになっているのがとても気になる。この傾向は、Co2による地球温暖化やエルニーニョ現象が主な原因で暖冬になり、ソメイヨシノの開花が早まったものだと考えられている。<br>
　その上、ここ２、３年、私の身近のソメイヨシノの枯槁が目立ち始め、私の目にも、枯れ枝の増加や、満開時青空が透けて見えるのが大半な状況が、スローモーションで見るようにはっきり分るようになってしまっている。私の住んでいる武蔵野市でも、街路樹としてのソメイヨシノは、満開の一時だけ珍重されるだけで、大半は幹が枯槁して傾き、歩道の通行に支障を生じさせ、更に幹には黄と黒のウォーニング・テープが巻かれ、恰も桜がお洒落な腹巻きをしているかのようだが、趣深い桜並木を台無しにしているのが現状である。昭和30年代に植栽され、50年経ったソメイヨシノは、寿命の60年に近づいていることを除いて、車道と歩道の整備が進み、ソメイヨシノの根と枝葉の伸長の限界、工事のダメージや踏圧による土壌の固結、周辺建物による日照障害、車の排気ガスによる環境悪化が、ソメイヨシノの老朽化を加速しているものと考えられている。この条件では、ソメイヨシノ自ら蘇ろうとする可能性をも、私たち人間が絶ってしまっていると思うと大問題である。<br>
　ソメイヨシノは、他の桜と比べても、とてもデリケートで土に馴染みにくく、枯れやすいし、その上、種がとても出来にくい厄介な植物である。しかしその厄介もののソメイヨシノが満開になると、私たち日本人は、「日本そのもの」そして、一種独特の愛国心として認知するのであるから、私のような高校生にも、何か不思議な感覚である。<br>
　だからこそ、老衰して朽ちかけているソメイヨシノが、街のあちこちに目立ってしまうと、私はそこに現在の迷走している「日本」を見てしまうのである。私は現在、高校３年で、将来の大学・社会に対しいろいろな夢を抱き、ぜひ叶えたいと思っているが、しかし、ソメイヨシノの現状から将来の日本の姿を想像してしまうのは私だけであろうか。今のソメイヨシノのように、お先真っ暗になってしまったら、私たち高校生は、どうしたら良いのであろうか。だからこそ、私たちが世の中で花を咲かせる十年後に、今のソメイヨシノがアンチエイジングで若返り、春の空を淡いピンク色の花で覆って欲しいと思う。<br>
　現在私たちは、ソメイヨシノから癒やしを与えられている立場だが、ソメイヨシノ・アンチエイジングが生命科学の分野で開発され、桜に投与することができるようになれば、私たちが桜から今まで受けていた「癒やし」の何分の一かの借りを返すことができるのではないだろうか。その上、日本の桜の歴史を、私たちの次の世代へ伝えることも可能である。<br>
　人間は熱が出たといえば解熱剤を飲み、筋肉痛になったといえば、ハップ剤を貼ったり、軟膏を塗るが、言葉を喋ることができないソメイヨシノは、どんなに体の具合が悪くても、どうしようもないのである。だからこそ、今必要なのは、ソメイヨシノ・アンチエイジングなのだと思う。<br>
　しかし、アンチエイジングの薬さえ出来れば良いという訳ではない。日本人の桜に対する美意識は万葉集から始まり、桜の元での花見も、単に桜を鑑賞するだけではなく、飲食の楽しみと、老若男女で場を共有する楽しみとが備わっている。そして、奈良・平安の昔からの桜への想いと、春への感謝が見事に凝縮されて、現代の私たちに千年間も受け継がれて来た。このことからも、ソメイヨシノを大切にする心を、日本人に取り戻す必要があると思う。<br>
　老木のソメイヨシノがアンチエイジングで若返り、私たち日本人が桜と、桜に対する想いと、桜を取り巻く水や土を大切にするモチベーションが強固なものとなったとき、日本の春にもっと活気が戻ってくると思われる。そうなれば、美しい国、日本が理想のものではなく、確固たるものとなり、日本独特の、ヒト・モノ・トキが、再び「桜」＝（イコール）「日本」という方程式が、公式となり得るのだと思う。]]></description>
         <link>http://www.jmnn.jp/archives/007/post_385.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">作文コンクール</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 31 Aug 2009 22:00:52 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>作文・応募作品  「おじさんと家内と薬と」　鈴田浩二 （神奈川県・６６歳）</title>
         <description><![CDATA[　効能のある薬ほどその副作用が強い、このことを私に教えてくれたのは、農繁期になると母が手伝いに行っていた農家の次男のおじさんだった。大正初期の生まれだが小児マヒで、下半身が不自由な人だった。正座を崩した女座りの状態で両足が固着してしまっていた。立つことも歩行も叶わない。しかし、このおじさんはすごかった。やや厚手の布で作った座布団にちょこなんと座り、これも不自由な手で座布団の端を持ち上げるようにして、自在にいざることができた。飼育していた兎や鶏、山羊や豚の世話はすべて座布団移動でやっていた。<br>
　おじさんが肝機能に異常が見つかって薬を常用するようになったのは、40代になってからだったが、日ごとに衰えるのが子供の私にも分かった。自身で移動ができなくなってからも読書欲は旺盛で博識な人だった。<br>
　「坊、薬はな服まないのが一番だ。毎日の暮らしが変わってしまうこともあるし、まちがった服み方をすれば死んでしまうこともある。誰だって今日も明日も元気でいたいから、医者が出す薬を服むんだ。同じ薬を服んでも良くなる人と悪くなってしまう人がいる。医者でも分からない、服んでみないとな。毒のようなものだ。いま、おれが服んでる薬、これはダメだな。医者を全部信用しちゃいけない、自分も医者になるんだ、わかるか」<br>
　昭和20年代後半の頃、私は中学生だった。<br>
　おじさんは病院へ一人で行けない。戸主である兄のおじさんが自転車のうしろへリヤカーを連結して、４キロある病院まで連れて行った。この時嫂も同行する。登り坂でリヤカーを押すためだ。こうした状況だったからおじさんは、さらに３キロ先、登り坂が２つもあるもうひとつの病院へ連れて行って欲しいとは言えなかったのだ。家庭医学書をむさぼるように読んでいたおじさんは、自分の余命を知っていたのかもしれない。誰にも吐きだすことのできない胸の内を私に語ったのだ。<br>
　患ってからおじさんは２年足らずで他界した。人間が死ぬことを初めて教えられた私。あり合わせの材料で作られた棺におさまったおじさんの耳に、数本の黒い毛が生えていたのが印象に残っている。<br><br>

　昭和43年に私は所帯を持った。仕事の関係で大阪で暮らしている時に知り合った家内は、リウマチを患っていた。尿酸塩の結晶が関節内に沈殿して発症するという因果関係が分かっている程度で、どうやって症状を改善するか、といった特効薬も治療法も確立されていなかった。まさに手さぐり状態であった。<br>
　温泉治療や評判がいい医師や病院があると聞けば、遠方でも足を運んだが徒労だった。一年間で２、３回の入院を余儀なくされた。症状の進行を遅らせるステロイド剤が常用薬となった家内。その薬の副作用を防止するために併服する薬もあって、毎食後、おやつ替わりのように色とりどりの錠剤を服用した。<br>
　私がうかつだった。家内が妊った。<br>
　私自身は薬を必要とすることがなく生きてきた。私は薬に免疫がなかった。家内に堕胎するように話した。副作用を危惧したからだ。<br>
　「そんなこと言ってたら一生子供を産めないじゃないの。先生は100%とは言えないが大丈夫でしょう、って言ってるわ、産ませてよ」<br>
　自己愛性人格障害、私はこのきわめつけだった。臆病者でもあった。家内を説得しつづけた私。子供はこの世に生まれてくることを阻まれた。女の性（さが）とでもいうのであろうか、40年が過ぎた今でも、あの子を産んでいれば、という言葉を何度も聞かされた。その思いは私とて同じだが、いつの時でも聞き流した。<br>
　腹痛でも頭痛でも、腫れものでも切り傷でも私が与えられた薬は、ふんだんに自生していたどくだみ草を母が煎じたり手もみしたものだけ、それでこと足りたほど野性児であった。母から授かったものなのだが。でも、大好きだったおじさんの命を縮めたのは、薬であるという固定観念も私の中で生きている。健康であったことが私を増長させたとも言える。薬が嫌いな私、薬を信じきった家内、これも一つの夫婦の形であろう<br>
　「胸の痛みに効く薬はない。おれには兄貴とねえさんが特効薬だった」おじさんが晩年に話してくれた言葉だが、私は忘れない。<br><br>

　横浜の風土が合ったのだろうか、家内はリウマチの業病から開放された。代用として喘息、血圧降下剤それに伴った胃薬、家内の食後のおやつは相も変わらずだ。<br>
　先頃、家内の病院に同行した。処方箋を私が薬局に持参した。よせばいいのに私は「こんなに薬を服んで薬が喧嘩しないんですか」と問うた。実年齢より若く見える紅をきりりと塗った50代の薬剤師は「犬科、猿科は私どもがチェックしておりますから大丈夫です」だって。ユーモアか皮肉かは分からない。]]></description>
         <link>http://www.jmnn.jp/archives/007/post_384.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">作文コンクール</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 31 Aug 2009 22:00:51 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「わたしと薬」　 （千葉県・３８歳　女性）</title>
         <description><![CDATA[　私は子供の頃から、月に１度は扁桃腺を腫らして熱を出していました。<br><br>

　そんなふうなので、小学校の修学旅行は、途中で熱を出し親に迎えに来てもらいました。<br>
　中学校の時もタイミングの悪い熱により不参加。<br><br>

　高校の修学旅行は、なんとスキー。冬山は寒い、寒いは熱・・・。またダウンしてしまうかしら。<br><br>

　でも、私は熱も出さないで、スキー旅行を楽しむことが出来ました。<br>
　前もって主治医の先生より予防のお薬を戴いていたからです。<br>
　薬ってすごいなと思いました。<br>
　ありがたいなと思いました。<br><br>

　でも、薬は注意も必要ですね。体中に世界地図の大陸の様な形のじんましんが無数に出て、痛くて痒くて入院したのも、薬が原因でした。合わない薬でアレルギー反応を起こしたのです。びっくりしました。<br><br>

　私は今も薬を飲んでいます。<br>
　しょっちゅう熱は出しますが、職場の仲間は知らないと思います。<br>
　そのことを思うと、薬って凄いです。<br><br>

　薬は、私の生活を、確かに変えてくれています。]]></description>
         <link>http://www.jmnn.jp/archives/007/post_383.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">作文コンクール</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 31 Aug 2009 22:00:50 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「わたしと薬」　 （千葉県・４１歳　男性）</title>
         <description>できれば、クスリには頼りたくない・・・。クスリは苦く、クスリを飲んでいると、なんだか、病人になったようで、気が滅入ってくる。けれども、クスリは、疾患のある人にとってはなくてはならないもの。重い疾患にかかってしまった時に、症状を緩和させるクスリは、クスリというより、癒しの友になってくれたらいいのかもしれない。癒しの友なら、イヤなものとしてでなくて、付き合えると思う。もし、「あなたが欲しいクスリは何ですか？　」と聞かれたら、「癒されるようなクスリが欲しい。」と答えるだろう。クスリは、錠剤やカプセルなんかではなくても、物言わずとも、私に優しい眼差しを向けてくれる自然や人やモノなど、すべてのものが、私の癒しの友になってくれるのだから・・・。</description>
         <link>http://www.jmnn.jp/archives/007/post_382.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">作文コンクール</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 31 Aug 2009 22:00:48 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「わたしと薬」　 （兵庫県・２４歳　女性）</title>
         <description><![CDATA[私にとって、薬とはどのような存在なのか考えてみた。<br><br>

物心ついてから、私が薬と深く関わったのは、小学1年生の時だった。<br>
熱性けいれんを引き起こし、４０度近くの高熱が出て、救急車で運ばれた。<br>
救急車に乗ってしばらくは意識があったが、次第に意識がもうろうとして、病院に到着する前に意識を失ってしまった。<br><br>

気がつくと、病院のベッドに寝かされていた。<br>
目が醒めた瞬間は、今いる場所がどこなのか、自分は何故ここにいるのか、分からなかった。しばらくして、そういえば自分は救急車の中で意識を失ったままだったのだと気付いた。<br>
その時、自分の体を包み込む毛布の感触から、自分は死なずに生きている、ちゃんとここに存在しているんだ、ということを実感した。<br>
それと同時に、もし、このまま目が醒めていなかったら、ということを考えると怖くなった。<br>
「生きる」と「死ぬ」の境目を体験した。<br><br>

その後、担当の医者から、<br>
「貴方が意識を失っている間に、大きな注射器で背中に薬を注射したんだよ。その薬のおかげで、無事助かったんだよ。」<br>
と言われた。<br><br>

この時の私にとって、薬とは「命の恩人」であり、薬に対して感謝の気持ちでいっぱいだった。<br><br>

しかし、再発を防ぐため、退院後もけいれん止めの薬を飲み続けなければならなかった。毎日、毎食後、とても苦い複数の錠剤や粉薬を飲み続けた。<br>
学校にも薬を持っていかなければならず、友達に「病気なの？」と聞かれたり、私だけたくさんの薬を持ち歩いているのがとても恥ずかしかった。<br><br>

さすがに服用するのが苦痛になり、薬なんて無くなってしまえばいいのに、とさえ思うようになった。<br>

この時の私にとって、薬とは「私を苦しめるもの」であり、薬に対して嫌悪感や鬱陶しい気持ちでいっぱいだった。<br>
ついこの間までの、「命の恩人」という良いイメージが崩れ去っていくのを感じた。<br><br>

これらの経験から、私にとっての薬とは、必ずしも「良いもの」とも言えないし、「悪いもの」と言い切ることも出来ない。私のことを「助けてくれたもの」でもあれば、「苦しめたもの」でもある。<br><br>

薬に対するイメージは、その時々の状況や気持ちによって、コロコロ変わってしまうし、一定しない。また何年か経つと、変わってしまうかもしれない。<br><br>

時間はかかるだろうけど、いつか、薬との上手な付き合い方を見つけることが出来たらいいな、と思った。]]></description>
         <link>http://www.jmnn.jp/archives/007/post_381.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">作文コンクール</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 31 Aug 2009 22:00:47 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「わたしと薬」  （千葉県・２４歳　女性） </title>
         <description><![CDATA[何年も飲み続けている薬がある。<br>
私がパニック症と診断されたのは学生時代の頃。<br>
当時はパニック症というものがあまり知られてなく、自分に何がおきているか分からなくて、毎日が絶望の日々だった。<br>
そんなときから薬を飲み始めた。<br><br>

最初の頃は一向に改善されない症状に、薬を飲むのを勝手に止めた。<br>
症状が悪くなり再び薬を飲む、そんなことの繰り返し。<br>
今思えば、それでは効くはずもないことに気づかなかった。<br><br>

「用法用量正しく守って」あの言葉は正しい。<br>
薬とは医師が処方してくれたものを正しい方法で、正しい量を飲むもの。<br>
それさえ守れば、こんなにも強い味方はいない。<br><br>

この病気は時間をかけて治していくもので、薬も解熱剤のようにすぐに効くものではない。<br>
量を減らしてもだめだし、勝手に止めるのもだめだ。<br>
少しずつ体に慣らしていくのだ。<br>
しかし、薬を飲み続けると言うのは、薬に依存しているようで抵抗があった。<br><br>

あれから何年たっただろう。<br>
少しずつ量は減ったが、薬は今でも飲み続けている。<br>
毎日飲み続ける薬と、頓服薬。<br>
劇的な変化はないけれど、飲み始めた頃とは比べ物にならないくらい私は元気になっていた。<br>
依存しているとも思わない。<br>
私にとって薬は毎日の手助けとなってくれる大事なパートナーで、頓服薬はお守りだ。]]></description>
         <link>http://www.jmnn.jp/archives/007/post_380.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">作文コンクール</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 31 Aug 2009 22:00:46 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「わたしと薬」  （京都府・３２歳　女性） </title>
         <description><![CDATA[私は甲状腺疾患を患っている。過剰なホルモンを押さえる為の投薬が必須だが、このさじ加減が本当に難しいらしい。病気が発症した当初は、内科にかかり、四年間、投薬を受けながら、常にだるいのが気になっていた。私はよくなっているのか？もう一生このだるさは抜けないのか？目がかすんだままなのか？と思うと不安で服薬もイヤイヤだった。<br>
　内科の先生は朗らかな先生だったが、私の質問に「しんどいのは気のせい」「大丈夫」と言ってくれたのだが、そう言われて、今度は自分の気力がないのかとひどく落ち込んだ。当時一緒に暮らしていた姉は言った。私はしんどそうに見える、怠けているようには見えないよ、と。<br>
　悩む私に偶然の出会いがあった。職場で甲状腺疾患のある先輩に出会い、彼女が行っている専門医の話を聞いた。専門的な検査もできると聞き、一度相談しようと訪れた。そこでわかったのは、「薬が多すぎる」ということだった。だるさはその副作用だったのだ。私が抱えている悩みを相談すると、先生は入院治療をすすめた。内科の先生が笑い飛ばす私の症状は、専門医から見て軽くはないらしかった。私は内心ほっとした。だるさなどが病気や薬にに由来するならば、治療で治る可能性があるということだから。<br>
　その後私は入院し、薬の中でもハイリスク・ハイリターンのステロイドを大量服用した。おかげで私の悩みは半分以上解消されたが、副作用も相当なものだった。甲状腺の薬に負けず劣らず管理の大変薬だった。<br>
　一年半後、ステロイド治療が終わり、私は相変わらず投薬を受けている。量を間違ったら苦しむ薬は、適量であれば私をラクにしてくれるありがたい薬。あの時、叩いた専門医の扉が、薬の素晴らしさを教えてくれた。 ]]></description>
         <link>http://www.jmnn.jp/archives/007/post_379.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">作文コンクール</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 31 Aug 2009 22:00:45 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「わたしと薬」  （北海道・１６歳　女性） </title>
         <description><![CDATA[　わたしは比較的、『薬』には反対だ。<br>
　現代の人は薬、薬と、薬に頼りすぎている気がしてならない。果たして、そんなに薬に頼っても良いものなのだろうか。<br>
  わたしの亡くなった祖父は毎日、十何錠と薬を取っていた。でも、最後には薬を取るのも難しくなり、静かに息を引き取った。だが、わたしは疑問に思う。祖父の取っていた多量と言えるほどの薬は彼の健康のサポートになっていたのだろうか。例えば、三錠の薬を、病気を治すために、摂取するとする。すると、その薬の中で副作用が生じた。そこで、また、一錠の薬を今度は副作用を抑えるために、摂ることにした。これは、どうなのだろう。一つ一つの薬は健康に良いものでも、このように複数を飲み合わせるとこで、カラダに有害な物質が新たに生み出されることはないだろうか。現に、わたし曾祖父は薬の飲み合わせが悪く、体調を長いこと崩していた。<br>
　そこで、わたしが何より注目したいのは、『おくすり手帳』の存在だ。最近ではかなり普及が広まった、おくすり手帳だが、まだその実力が十分に発揮されてないように思える。わたしの身近に、初めおくすり手帳を渡された時は、自分の取っている薬をきちんと記録するが、時がたつにつれ面倒になり、しだいに記録するのをやめてしまった、という人が何人もいた。このおくすり手帳をもっと駆使すれば、薬の飲み合わせが悪くて体調を崩すことが、かなり減るのではないだろうか。もちろん、わたしたち個人もそうだが、おくすり手帳をきちんと記録する責任は、もっと、病院側が持つべきだろう。<br>
　薬は、わたしたちヒトにとって、自然なものではない。そもそも、ヒトには、治癒力と言う物が備わっている。わたしの意見としては、薬をこの治癒力をサポートする形で摂ることが最善だと思う。<br><br>
　
　わたしが、この様に薬に『反対』する背景には、『薬』に対する恐怖心がある。わたしは医者でも専門家でもないただの高校生だ。わたしはどれだけ薬の正しい知識を持っているだろうか。おそらくゼロに等しいだろう。わたしは、不安なのだ。しかし今日では、薬を処方されるときの説明を丁寧にしてくれる。それは、わたしたち一般人にとって嬉しいことだと思う。そして、わたしたちは、それにきちんと耳を傾けるべきだ。もっともっと一般人も、正しい薬の知識を得られる場が増えてくれると良いな、と、わたしは考えている。<br><br>
　
　わたしは薬に対して全てが『反対』な訳ではない。もちろん『希望』も持っている。<br>
　と言うのも、白血病など治療が難しいとされてきた病気も、薬の力を借りてどんどん治療方が開発されてきた。これは、ヒトにとって素晴らしい機転だろう。<br><br>
　
　『薬』に対して比較的反対意見を持っている、わたしでも、自分が重い病気にかかったときに助けを求めるのは、家族ではなく、医者や、『薬』だろう。今となっては、薬はヒトが生きていく上で欠かせないものになっている。それでもやはり、薬はヒトにとっては自然なものではない。だからこそ、これからは、薬はヒトに自然なものに、更に、近づけていって欲しいと思う。<br><br>
　
　わたしは、安心に安全に『薬』と付き合っていきたい。<br>
　わたしは『薬』の未来に期待したい。]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">作文コンクール</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 31 Aug 2009 22:00:42 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「便利でありすぎてはいけない薬」　（大阪府・２１歳　男性）</title>
         <description><![CDATA[近頃私は自身の生活が忙しくなって、体のケアがおろそかになり、体調のバランスが崩れがちになりました、きっと世の中で働く人は私と同じような状態の人が多くいるのではないかと思われます。<br>
近年では単純に患部や疾患を治すための薬だけでなく、そうなるまえの予防、生活習慣に合わせてサプリメントや補助的な役割をになう薬によって体調を維持することがごくごく当たり前になり、コンビニのような駅前の安売りのドラッグストアなどで買えたり、手軽にかつ多様な健康状態に合わせて適した薬がある、便利な世の中だと思います。<br>
しかし、その便利さにこの先注意していかなければいけないとも思います。すぐ手に入りすぐに効く、とは聞こえは良いかもしれませんが、それだけ体に変化を与える薬というのはその分強くて、服用方法によっては体に害を与える可能性だってあることを少なくとももっと自覚すべきだと思います。薬を服用する時はどんな薬であれ自分の症状に適しているか、服用方法は、保存期間は、全て吟味した上で購入すべきです。時間の無い中どうしても「早く効く強い薬」と、簡単に考えてしまいがちですが、もっと薬との付き合い方を見直すべきでしょう。薬は便利ですがそこに頼りすぎないこと、日々の生活習慣で改善できること、気をつけることがまずは第一で、そこでカバーできなくなった時のみ、自身の症状に合った薬を選択し正しく服用する。当たり前のようですが、あまりにも人々は薬に頼りすぎ、そしてそのわりに薬に対する関心がないような気が普段からしています、病院でもらう薬にもそれがどういう効果をもたらすどれくらい強い薬なのか正しく理解してから服用したいものです。]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">作文コンクール</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 31 Aug 2009 22:00:41 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「私の小さな恋人」　（兵庫県・２５歳　女性）</title>
         <description><![CDATA[私達の付き合いもかれこれ三年になるね。ほら、憶えてる？私達が出会った３年前のあの寒い冬の夜・・私が君を初めて知った日。病院の先生から君を紹介された時、正直不安でいっぱいだった。本当にこれから先、君と上手くやっていけるのだろうかって・・・<br>
私達の３年間は決して楽な道のりじゃなかったけど、私は君と出会えた事、今でも後悔してないよ。<br><br>

運命とは不思議なもので私が病気になっていなければ、病院で君と出会うこともなかった・・・・。<br><br>

あれは３年前の夏。その頃から感じ始めるようになった体の違和感。体の調子が明らかに以前とは違うってわかってたのに、私は怖くてずっと病院に行くことが出来なかったんだ。季節が冬になっても、もし検査を受けて最悪の結果を知らされることになったらどうしよう。物凄く重大な病気だったらどうしよう・・。そんなネガティブな思考が頭の中をぐるぐるして、ますます病院へ行くという選択肢から私を遠ざけていったんだ。真冬なのに真夏のように体が熱くなっても、今日は冬の暖かい日なんだって思うことにした。少し歩いただけで激しい息切れに襲われても、ただの運動不足だって言い聞かせた。眩暈がして倒れそうになっても、ちょっと貧血気味なだけって考えるようにしてた。健康だけが取柄だった自分には「病気」なんて言葉とは無縁だと思ってたから。まさか自分に限って・・なんて軽く考えてようとしてたんだ。でもね、当たり前だけど、そんな気付かないふりをし続ける日々はそう長くは続かなかった。<br>
だって、異変を無視し続けられてた私の体はとうとうカンカンに怒ちゃったんだもの。ずっとSOSを出してるのにどうして気付いてくれないんだって。<br>
私はその日、突然の高熱に襲われ、一晩中関節痛と戦った。そして、翌朝、重い体を引きずってついに病院へ行く決心をしたんだ。そう、ここで君と出会ったんだよね。<br><br>

検査の結果は当然異常だった。<br><br>

「甲状腺ホルモン亢進症の一つであるバセドウ病だね」先生から告げられたその言葉は私の心に重く響いた。遺伝やストレスなどが原因でかかることがある病気で、女性に多いらしい。症状は動悸や息切れ、倦怠感、脈拍異常、多汗、イライラ、体重減少、首の腫れなど。症状はかなり進行していて、先生も驚きを隠せない様子だった。「こんなに数値が上がっててしんどくなかった？」「・・・はい。」愛想がない返事だけれど、その時の私にはあまりのショックで「はい」の一言を言うのがやっとだった。病気・・？どうして私が？だって、いくら多い病気とはいえ、まさか自分がかかるなんて思ってもみなかったから。<br>
こらえてた涙が今にも溢れ出しそうになった時だった。先生から君の事を紹介されたのは。「こいつはこれからあなたを支えてくれる存在になる」<br>
この日から私と君との付き合いが始まったんだよね。<br>
最初は君の事がよくわからなくて、おそるおそるでしか君と接することが出来ない自分にイライラしたり、君とはやっぱりやっていけない。なんて投げやりになってた私がいたよね。でもね、そんな自分じゃ君に嫌われてしまう。ってわかった時から私は君を知ることから始めてみようと思ったんだ。まずは、君の事を知っている人たちに君について尋ねてみた。ほとんどの人たちは君の事を時々気分屋だけど、相性が良ければ長く付き合っていけるよって言ってた。頼りすぎたら上手くいかないけど、距離をとりすぎてもダメになるって。あぁ、確か君のことをこんな風に言ってる人もいた。「チアマゾールは副作用がやっかいな薬だよ」
そんなアドバイスを頼りに、私は君と生きる日々を再びスタートさせたんだ。<br>
体調が悪いときは君の力を必要とすることが多かったけど、皆が言ってたように、君を頼りすぎた時は副作用がでて上手くいかなくなった。あぁ、君とのかけひきは大変だ。適度な距離を保たないと私を幸せにはしてくれない。気難しい君と生きるこの人生を可哀想という人もいるけれど、私はそうは思わないよ。病気になって、君と出会えたからこそ気付けたこと、得られたものも沢山あるから。<br><br>

君と一緒に歩き始めてから３年。大分信頼関係も築けてきたよね。最近は君の力を必要としなくても頑張れる時が増えてきた。遠い未来、いつか君とお別れをする日がくるかもしれない。その時はちょっぴり寂しい気持ちになるんだろうけど、ありったけの感謝の気持ちをこめて私は君に手をふることが出来ると思うんだ。まぁ、でも、当分はお世話になると思うからよろしくね。私の小さな恋人。『チアマゾール』]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">作文コンクール</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 31 Aug 2009 21:31:44 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「人生を生み出す薬」　（秋田県・４６歳　男性）</title>
         <description><![CDATA[　ひと月ほど前、七十一歳になる母が体調を崩した。夏風邪をひいたらしく咳が出て、熱も三十八度から三十九度まで上がり、母は数日間寝込む羽目に陥ったのである。日頃から健康状態に不安があった母だけに、家族の皆が心配し、家に重い空気が漂った。<br>
　なかなか回復しない母を見かねて、近くの内科医院へ連れて行ったところ、何種類もの薬が処方された。やはり、風邪をこじらせたとの診断である。家に帰って母の飲むべき薬をテーブルの上に並べていると、思わずため息が出てしまうような量であった。<br>
　母は以前から骨粗鬆症を患っている。若い頃は父よりも上だった母の身長が、今ではすっかり縮み、背中と腰は不自然に丸く彎曲してしまった。加齢に伴い骨が徐々に潰れていった結果である。骨粗鬆症の薬を飲み始めてからは症状の進行も抑えられている。発病以前と比べて、母は日常動作に何かと苦労するようにはなった。それでも寝たきりの状態を避けらたのは、専業主婦として若い頃から寸暇を惜しまず家事をこなし、年を取ってからも勤勉に働き回っていた母だからこそである。<br>
　だがそんな母に病魔はさらに襲いかかった。今年の一月下旬のこと。母の様子に突然の異変が生じたのである。母は頻りに体のだるさを訴え、当初は風邪をひいたのだろうと思っていたが、風邪にしては咳や熱がなく、どうも様子がおかしい。体調不良もさることながら、母の喋り方が今までになく聞き取りづらく、どうも呂律が回っていないようなのである。歩き方を見ていてもふらついてまっすぐ歩けず、母は動くのも大儀そうであった。<br>
　テレビや新聞等で見るさまざまな実例を通して、その症状が脳梗塞によく似ているとは私たちもすぐに気がついた。まずは近くのかかりつけ医に母を診てもらったところ、やはりその疑いが濃厚と診断され、中央病院の脳神経外科を紹介された。私が運転して病院へ向かう車内の空気は、非常に重苦しいものだった。母の命に関わることだから当然である。<br>
　病院では直ちにＣＴ検査にかけられ、予想通り母が脳梗塞を起こしていたと判明する。ただし医師の説明はそれほど深刻な響きを帯びていなかった。詰まったのは幸いに、比較的細い脳血管であり、今すぐ命に関わる状態ではないという。母は入院せずに在宅で通院治療する方法を選んだ。<br>
　抗凝血薬に加えて降圧剤も処方されたのは、病院で測定した母の血圧が非常に高く、収縮期血圧の値が二百を超えていたからである。母はもともと低血圧の体質だっただけに、まさか高血圧だとは、母自身も私たちも想像しなかった。医師に強く勧められ、私は市販の血圧計を買いに走った。家で毎日三回、定時に母の血圧を測り、病院から渡された血圧手帳にその数値を書き込むのである。脳梗塞再発のリスクを低くするには、食事療法に加えて、高血圧を改善するのが近道だという。<br>
　その日から薬による治療が始まり、母の飲む薬は一気に増えた。テーブルの上にずらりと薬を並べ、必死の形相で一つ一つ飲んでいる母の姿を見ていると、病と闘おうとする母の決意がひしひしと伝わってきた。まだまだ自分は死ねない、私たち家族のために家事をこなし、家を磨いていかねばならない、と、そんな母の内なる声が聞こえるようだった。<br>
　降圧剤の効き目は、飲み始めてから二週間が過ぎる頃から徐々に表れ、高かった母の血圧もやがて正常値にまで下がった。その数字と歩調を合わせるかのように、脳梗塞の症状も軽減していき、今では以前とほとんど変わらぬ生活を母は取り戻している。老骨に鞭打ちながら炊事・洗濯・掃除をこなし、自分の足で歩いて買い物にも出る。嫁に行った妹の愚痴も聞いてやる。そんな母である。<br>
　それにしても母の飲む薬は多い。骨粗鬆症治療薬を飲む日の朝には、これに抗凝血薬と数種類の降圧剤が加わり、風邪の治療に処方された数種類の薬も加えて、母の飲むべき薬が十数種類もテーブルに並んだものである。この光景を目にして、私は頭を抱えたくなった。少食な母のことだから、へたをすれば食事よりも薬の量が多いくらいである。<br>
　だがこれらの薬のおかげで母の今があるのだ。骨粗鬆症も脳梗塞も、母は薬の力を借りてはね返した。こじらせた風邪も、薬を飲み始めてから数日で劇的に回復していった。牛乳を飲めず、肉も食べられない。極端な偏食家の母なのに、薬だけは好き嫌いを言わずによく飲む。まるで食事の一部であるかのように、母は涼しい顔で何種類もの薬を飲み下す。<br>
　我々は「食」というものに、楽しみを求めすぎるのではないか……母を見ていると、そんな気さえしてくる。薬のおかげで寿命が延びても、それが薬漬けの生活では味気ない、と思っていたが、その浅薄な考えは撤回することにしよう。薬が新たな人生を生み出す──そう思える人の方が幸せではないだろうか。]]></description>
         <link>http://www.jmnn.jp/archives/007/post_375.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">作文コンクール</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 31 Aug 2009 20:52:33 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「わたしと薬」　（滋賀県・３５歳　女性）</title>
         <description>　薬は嫌いです。苦くまずく副作用があるからです。子供用に甘い味の薬があるかもしれませんが、果実の天然の甘みではなく、チョコやグミやガム、キャンディーの甘さ、おいしさ、食べやすさでもないです。水で飲むことも、準備が要りますが、お茶やコーヒーで代用できたらな、そんな薬がないかなと思います。副作用も、ほとんどの薬にあると、医者は言いましたが、かえって、不気味で恐れ飲みたくないなと思います。賭けのように感じます。副作用が出れば、そこからまた調整すればいいと言われたことがあります。さらに後から出た薬で、かえって、薬の量が増え、副作用の種類が増えました。なんてことだ。ますます薬嫌いが増えました。</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">作文コンクール</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 31 Aug 2009 20:50:39 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「わたしと薬」　（栃木県・２８歳　女性）</title>
         <description><![CDATA[いつも小さなポシェットを下げている。<br><br>

その中には、投薬のメモ、かかりつけ病院の診察券三枚、保険証、吸入のディスク、パルスオキシメーター。マスコットタイプのキーホルダーに、ステロイド錠剤。<br><br>

普段はお世話にならない。普段お世話になっている薬は、別のボックスがあって、自宅においてある。<br><br>

基本的に必要ないけれどいつでも下げている。急に倒れたときのために。<br><br>

ポシェットの中身で、なんとなくどんな病気かはわかるだろうか。そう。喘息である。<br><br>

私は教員をしていて、ついでを言うといつも水を入れたマイボトルも持ち歩いている。<br>
そして一年中マスク。<br><br><br>


喘息の薬を毎日服用するようになったのはもうすぐ27歳になるときのことだった。<br><br>

よく考えてみると、小さい頃からよく体調を崩し、よく薬を飲んでいた。<br>
それだから、幼稚園の頃から、水薬は目をつぶってでも、ぴったり計量できるくらい慣れていた。<br><br>

少し大きくなって、献血が出来る歳になると、<br><br>

『三日以内に薬を服用していない』<br>
にチェック出来るよう、アレルギーの薬を絶ったこともあった。<br><br>

それだけ、健康だと勘違いしていたのだと思う。<br><br><br>


今の薬は二年続けて飲んでいる。そして一生飲み続ける覚悟でいる。<br><br>

ただ、飲めない時期がある。<br><br>

妊娠、出産を望む時期。<br><br><br>


主治医にはいつもこう言われている。<br><br>

アレルギーの薬は、胎児へのリスクが大きいから<br><br>

結婚したら知らせて下さい。妊娠の予定があれば相談しましょう。<br><br>

そう。私はそんなことをも管理されるのだ。<br><br>

発作を起こす度に、<br>
「私は働く資格がない」<br>
と落ち込み<br><br>

本当に妊娠を望んだ時にコントロールすれば間に合うのだろうか、<br>
自分の子どももアレルギー体質で生まれてくるのだろうか、もしそうなら生まれてから一生病気と薬と付き合うのだろうか<br><br>

とやるせない思いに苛まれる。<br><br><br>


私が接している生徒の中にも喘息持ちの子はたくさんいる。<br><br>

小児喘息のうちに、ぜひとも治してもらいたいと思う。<br><br>

特に、まだ男女平等とは言えない世の中では、男性は『働かなくては』ならない場合が多いだろう。そして、妊娠を望むから、といって薬をコントロールするのもいろいろな意味で大変であろうと思う。<br><br>

適切な治療を受け、薬とうまく付き合い、薬を利用して生きていきやすくなって欲しいと思う。<br><br>

薬は楽になる草、なのだから、体も心も楽になればいいと切に思う。]]></description>
         <link>http://www.jmnn.jp/archives/007/post_373.html</link>
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         <pubDate>Mon, 31 Aug 2009 20:44:33 +0900</pubDate>
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