【連載:在宅医療 北から南から】003 飯田智哉(北海道)第1回

【連載:在宅医療 北から南から】003 飯田智哉 先生(北海道)第1回

2025年問題が迫る中、高齢化が加速し、在宅医療が重要な時代となっています。本連載では、在宅医療の現状、課題、未来を伝えることをテーマに、実際の現場で活躍されている医療従事者の皆さまに、明るく、楽しく、わかりやすく語っていただき、在宅医療の認知浸透を図るとともに、在宅医療を検討したい患者様とそのご家族様に、在宅医療を知っていただくことを目的にしています。
3人目は札幌で「札幌在宅クリニックそよ風」にて院長を務めている飯田智哉先生です。
3回にわたるシリーズの1回目は背景編として、生い立ち、医師になったきっかけについてお聞きしました。
双子の弟と常に一緒に
—子どもの頃はどのようにすごされていましたか
小樽で生まれ、双子の弟といつもずっと一緒にいて、常に外で遊んでいました。友達と遊ぶときも常に弟と一緒でサッカーや野球などをしていました。小学校の頃はサッカーと陸上に明け暮れていて、サッカーでは弟と二人で小樽選抜という小樽の選抜チームに入っていました。陸上でもリレーのチームを組んでいて、弟が1走目で僕がアンカーで全道大会で3位になりましたね。
小学校5年生の時、全道大会の4×100mリレーで3位に
小学校5年生の時、全道大会の4×100mリレーで3位に。写真向かって左が私。
—中学校、高校ではいかがでしたか
中学からはバドミントンをメインにやっていて、全道大会に出ました。
高校は小樽潮陵高校。すごく自由闊達な校風なので、結構自由に生徒に任されて、みんなでわいわいがやがやするのが好きで学校祭や体育祭で盛り上がっていました。2年の体育祭で一番活躍した人がもらう総合MVPをもらったのが一番の思い出ですね。勉強は、学年で3番とか4番だったんですが、していたような、していなかったような、そんな感じでした。
高校2年生の時、体育祭で総合MVPに
高校2年生の時、体育祭で総合MVPに。正面にいるのが私。
本間先生への憧れから医師を目指す
—医師を目指したきっかけについて教えてください
僕ら二人ともスポーツをしていましたが貧血があってよく病院に行ってました。小樽市内の町医者で神主でもあるとても珍しい先生(三ツ山病院:本間公祐先生)に診てもらってて、その先生のことが大好きで町医者にすごく憧れたのがきっかけですね。
でも、実際に医者になりたいと言い始めたのは弟が先で、それに引きずられて僕もなりたいって感じでしたが、高校生になってもその気持ちは変わらなかったですね。
—札幌医科大学へ進学されますが、大学時代はいかがでしたか
僕は1浪して入学、弟は現役で入学し1年先輩だったので、彼のレポートとか試験対策とか活用できてすごく助かりました。弟がいる学年の方々にもすごく良くしてもらい、弟が先輩でいたのはとっても良かったなと思います。
サークルはスノーボード部に入っていましたが、大学サークルでありがちなスノーボードはせずに酒ばかり飲んでいる、って感じでしたね(笑)
一番やっていたことはアルバイトですね。週6〜7回家庭教師や塾のアルバイトをしていました。
でもすごく楽しくやっていました。僕は主に高校生を教えていたのですが、高校生の子たちの人生の大事な部分に関わることができるのは自分にとって大きな喜びでした。
物事をわかりやすく伝えることって、医者になってからも生きている部分だなとすごく思っていて、いい仕事だったなと思いますね。
大学4年生の時、同級生と教室で
大学4年生の時、同級生と教室で
大学4年生の時、同級生と校舎の前で
大学4年生の時、同級生と校舎の前で
良き指導者とのたくさんの出会いに恵まれて
—札幌医科大学第一内科に進まれますが、どのように決めましたか
本間公祐先生(三ツ山病院)のような何でもみれる内科医に憧れていて、医者はそういうものだと思っていました。当時の第一内科は消化器系、血液系、リウマチ・膠原病など一番広く診る科だったので、大学1年生の頃からずっと第一内科と思っていて、迷うことなく入局しました。
—第一内科に入局されて、実際にはいかがでしたか
100%良かったと思っています。医者って若いうちは徒弟制度みたいなものがあって、上の先生がどういう先生かで自分の能力が決まってくる部分があるかと思うんです。
初期研修2年間、小樽市立病院で研修をしたのですが、当時の上級医の先生方も本当に素晴らしい先生たちでもう本当によくしていただきましたし、4年目、5年目の市立室蘭総合病院の時も、6年目で小樽市立病院に戻った時も、素晴らしい上級医のもとで仕事をすることができました。
本当に、なんだろうな、人に恵まれた、上級医に恵まれた医者生活を送らせてもらいました。本当にそれは自分の誇りですね。
医師6年目、小樽市立病院消化器内科の医師たちと
医師6年目、小樽市立病院消化器内科の医師たちと。向かって右上が私。
—その後、複数の市中病院で消化器内科医として研鑽を積まれますが、消化器内科に進まれた理由を教えてください
消化器内科って、どの病院行っても、「なんかわからないからとりあえず消化器内科」ってところがあって、広く診れるイメージがあるんですよ。肺だったら呼吸器、心臓だったら循環器みたいな感じではなくて、全体を広く診れる、一般内科的な要素が消化器内科にはあるから消化器内科にしました。
—2015年 札幌医科大学大学院へ入学、注力された研究について教えてください
基礎実験的なことをしてみたいというのは自分の中にありましたし、これまでの上司たちから「医者という一生を送る中で、基礎実験をする時間があってもいいよね」っていう言葉をいつも聞いていました。
論文を書くとか、学会発表するとか、アカデミックな作業がとても好きだったので、実験をして論文を書いて業績を出すということに非常に興味があった時期であり、大学院に入りました。
その後、日本学術振興会特別研究員(DC2)にもさせていただき、マウスを使って炎症性発がん(潰瘍性大腸炎から発生する大腸がん)のメカニズムについて、潰瘍性大腸炎の大家である仲瀬裕志先生(札幌医科大学消化器内科学講座教授)の元、実験をしていました。
結果として、たくさん論文も書きましたし、成果もたくさん出ましたね。
海外学会でトラベルグラントを受賞した時
海外学会でトラベルグラントを受賞した時
—2回目は在宅医療に進まれたきっかけ、「札幌在宅クリニックそよ風」の現状や「北海道」について語っていただきます。
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