【連載:在宅医療 北から南から】001 長野 宏昭(沖縄)第1回

【連載:在宅医療 北から南から】001 長野 宏昭 先生(沖縄)第1回

2025年問題が迫る中、高齢化が加速し、在宅医療が重要な時代となっています。本連載では、在宅医療の現状、課題、未来を伝えることをテーマに、実際の現場で活躍されている医療従事者の皆さまに、明るく、楽しく、わかりやすく語っていただき、在宅医療の認知浸透を図るとともに、在宅医療を検討したい患者様とそのご家族様に、在宅医療を知っていただくことを目的にしています。
1人目は沖縄で2023年に訪問診療を専門とする「いきがい在宅クリニック」を開業された長野 宏昭 先生です。
3回にわたるシリーズの1回目は背景編として、医師になったきっかけ、在宅医療に進まれた理由についてお聞きしました。
自然が好きで「キノコ博士」と呼ばれていた
—子どもの頃はどのようにすごされていましたか
自然が好きだったので、海に連れて行ってもらったり、山へ連れていってもらったり。生き物も好きだったので、虫を採ったりしていました。あと、キノコに興味があって、学校や山に生えているものを見つけて採集して絵に描いたりして、「キノコ博士」と言われていて、物知り博士に憧れていました。
(イメージ画像)
祖母の死をきっかけに命の尊さ、はかなさを実感する
—医師を目指したきっかけについて教えてください
漠然と人間の体にも興味があり、NHKスペシャルの「驚異の小宇宙:人体」を見て、人間の体を詳しく知りたいな、医者っていう仕事もあるんだなと思っていました。
中学の頃、祖母が突然亡くなり、お別れの挨拶もなく、命ってこんなに急になくなるんだなと感じ、「生と死」ってなんだろう、、と向き合うきっかけになりました。
また、高校時代に日野原先生の「いのちの器」の新聞記事を読んで、「死についての考え」を学び、生物学者もいいけど、医師になって、苦しんでいる人の力になりたい、おばあちゃんを助けれなかったという思いも重なって、医師を目指しました。
音楽に没頭、呼吸器内科の「名医」と出会う
—岡山大学へ進学されますが、大学時代はいかがでしたか
もう全く勉強しなくて、いかにさぼることだけを考えていました(笑)。音楽が好きでオーケストラ部、交響楽団に入っていて、本学のサークルだったのですが、練習がとても厳しくて、ほとんど授業に行けませんでした、、。合宿に行って、一晩中飲んで、次の朝、練習など、音楽に費やした6年間でした。
(イメージ画像)
—大阪赤十字病院、呼吸器内科に進まれますが、どのように決めましたか
関西出身だったので、関西に戻りたいとの思いもあって、マッチングで大阪赤十字病院に決まったという感じですね。
そこで、網谷先生といって、網谷病(現在は特発性胸膜肺実質線維弾性症)を発見した呼吸器内科の伝説の先生と言われているのですが、その先生と出会い、医師としての技量に加え人柄にも感銘を受け、レントゲン読影ができる医者にもなりたいとも思い、呼吸器内科に進みました。
描いた夢、家族の応援、音楽が支えてくれた研修医時代
—医師になられた当初はご苦労があったと思います。何かエピソードがありますか?
患者さんの力になれなかったという思いが強いですね。ただ、「心のこもった先生のおかげですごく 元気になれた、ありがとうございます」との感謝の手紙をいただくこともあり、実際力にはなれてないけど、その人の何か役に立ったかな、とも感じていました。
最初の2年、3年あたりは、本当に必死で、出来ない自分を感じ、希望と現実の開きに苦しんでいましたね。
—そこを支えてくれたものは何ですか
自分が志し選んだ職業であり、いつか一人前となって研修医や学生などを指導できるような医師になりたいという夢があったから。あと、家族や身近な人が応援してくれたことも支えになりましたし、趣味の音楽、そこで普段会えない仲間と会えたことも支えになりました。
非結核性抗酸菌症を専門領域に
—その後、注力された研究や診療領域について教えてください
呼吸器内科では肺がんなどの患者さんを見ていて、治らないこともあり、最初は辛かったでですが、治らない病気であっても、私たちにはできることがあるんだと感じ、だんだん診療が好きになりました。自分が喘息だったこともあり、喘息やアレルギーで苦しんでいる人のお役に立ちたいとの思いから診療にあたっていました。
あとは感染症。呼吸器では感染症をよく診るのですが、結核の親戚といわれる「非結核性抗酸菌症」の臨床研究をしていて、論文を書いたり、海外の学会で発表をしていました。
この分野では、けっこう新しい発見ができたので、「非結核性抗酸菌症」については普通のドクターよりは詳しいという自信もつき、一つテーマを持って研究することは大事だなと思っています。
「看取りたい」との思いから在宅医療の道へ
—2013年ころから在宅医療に進まれていきますが、そのきっかけは?
在宅医療は学生時代に学ぶ機会がなく、医者になってから初めて知りました。肺がんの治療を終えた人の看取りをしたいという思いがありましたが、大阪赤十字病院などの急性期病院では診ることはできなかった。
肺がんの患者さんを多く診るようになった7年目くらいから、病院にいながら在宅もやって、家まで出かけていって、その後の経過を見たいなとの思いが芽生えました。
ご縁があって10年前沖縄に来て、沖縄県立中部病院で在宅医療をやっている高山先生、新屋先生と出会い呼吸器内科をやりながら在宅も行うことが可能となり、週に1回から在宅医療を始めました。主に肺がんの患者さんで、通院できなくなった人を見に行っていることが多かったです。最後の時間までお家を希望する方は多く、約500人の方を看取りました。
高山先生(右下)、患者さん、スタッフと
—本格的に軸足を在宅に向けたきっかけは?
地域に出ることでいろんな方と出会いました。その中で「株式会社いきがいクリエーション」の親泊看護師と出会い、生き方や考え方に感銘を受け、親泊さんと一緒に地域を作りたいという思いがすごく湧いてきました。
在宅医療をすることはもちろんですが、地域を作るための何かこうプロジェクトというか 街づくりみたいなものを一緒にやっていきたい、そういう人たちと一緒にタッグを組んで、こう 何かできたらなっていう思いで本格的に自分がもう地域に出るしかないなっていう風に決意しました。
親泊看護師(右)と
「地域作りを考えれること」に喜びを感じ、開業
—2023年4月に「いきがい在宅クリニック」を開業されます
開業を決意したのは3、4年くらい前なんですが、コロナでもうそれどころでなかったので、コロナの患者さんも診る役割もあるので、ちょっと落ち着いた頃ということで、昨年開業しました。
「なぜ、沖縄なのですか?」とよく聞かれるのですが、やっぱり、人ですね、人に惹かれたというか、優しさであったり、僕、ホスピスマインドと呼んでいるのですが、沖縄の人のマインドに惹かれた、ということですね。

いきがい在宅クリニック

—2回目は開業された「いきがい在宅クリニック」の現状や「沖縄」について語っていただきます。
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