【連載:在宅医療 北から南から】004 三宅敬二郎(香川)第1回

【連載:在宅医療 北から南から】004 三宅敬二郎 先生(香川)第1回

2025年問題が迫る中、高齢化が加速し、在宅医療が重要な時代となっています。本連載では、在宅医療の現状、課題、未来を伝えることをテーマに、実際の現場で活躍されている医療従事者の皆さまに、明るく、楽しく、わかりやすく語っていただき、在宅医療の認知浸透を図るとともに、在宅医療を検討したい患者様とそのご家族様に、在宅医療を知っていただくことを目的にしています。
4人目は香川で2007年から「在宅診療敬二郎クリニック」を運営されています三宅敬二郎先生です。
3回にわたるシリーズの1回目は背景編として、生い立ち、医師になったきっかけについてお聞きしました。
ヒーローに憧れて
—お生まれはどこになりますか
福岡県福岡市生まれになります。父親が医師で九州大学病院で働いていた時に生まれました。その後、3歳の時に香川に引越し、高校卒業までは香川で過ごしました。
幼少期(父と三兄弟にて(左:弟、中央:私、右:兄)
幼少期(父と三兄弟にて(左:弟、中央:私、右:兄)
自然豊かでおおらかな風土であったので、野球、サッカーやバスケットなどスポーツに熱中していました。ちょっと目立ちたがり屋なところがあって、ヒーローになることを夢見ていましたね。
小学校卒業時
小学校卒業時
—中学校、高校ではいかがでしたか
中学ではバスケット一筋でした。最高の成績は大学最後の年の試合での浜松医大戦で自己最高の34得点したが、チームで戦ったことは今でも良い思い出になっています。
その後もバスケットボールは続けていて、52歳で私のクリニックと友人の建築会社と合同でバスケットボールのクラブチームを作って、60歳までプレーしていました。
バスケットのクラブチームにて(前列左から2番目が私)
バスケットのクラブチームにて(前列左から2番目が私)
高校は高松高校に進学しました。理数科に進み、優秀な友人がたくさんいてとても恵まれた環境だったので、結構勉強はしてました。また、理数科はカリキュラムの進行が早く、高校2年の終わりで3年間の授業が終わってしまい、高校3年時は大学受験の勉強に集中する状況でしたし、中には大学の勉強をしている強者もいました。
医学部を目指す友人も10人ほどいて、切磋琢磨して励んだ1年間でした。
迷うことなく医療への道
—医師を目指したきっかけについて教えてください
祖父、父ともに医師なので、自然と自分も医師になるものと思っていましたし、それ以外の職業もほとんど思い浮かばなかったですね。また、既にお話していますが、ちょっと目立ちたがり屋で、人の命を救ってヒーローになりたいという思いもあったので、医師を目指しました(笑)。
家族写真(前列右から2番目:祖父、後列右端:父)
家族写真(前列右から2番目:祖父、後列右端:父)
—福岡大学へ進学されますが、大学時代はいかがでしたか
受験大学を決めようとしていた時、父は福岡にいて、父からは「受験する大学は国立1校、私立1校。私立なら福岡に1校あるよ」って言われて、そのまま福岡大学を受験しました。そして、合格、福岡大学に進みました。
福岡は幼年期に過ごしただけでほぼ初めて住む感じだったのですが、九州の人って優しくて、とっても楽しかったですね。例えば、屋台でごはんを食べている時に店長に「学生です」と言うと、「だったらただでいいよ」って言ってくれたりして、お金のない学生には特に優しかったです。
学校生活では、実習、特に解剖実習が楽しかったですね。外科医を目指していたこともあって、見るもの見るものがとってもインパクトがあって、解剖が苦手で積極的にできない同期もいる中で常に前のめりでやっていました。また、実習で出会う各科の先生方々にも可愛がっていただき、実習以外にも往診に連れていってくれたりして、いろいろなことを見せてもらい、教えてもらいました。
部活は、ここでもバスケットボール一筋で医学部のバスケットボール部に入っていました。出来たばかりの部で、他大学には国体に出るような選手がたくさんいるところもあって、最初のころはあまり強くなかったのですが、猛練習の成果もあって、大学5年くらいにはいろんな大学と互角に戦える状況にはなりました。
医学部5年生の頃
医学部5年生の頃
外科の町医者を目指して
—外科医を専攻されますが、どのように決めましたか
祖父、父も外科医だったので、自然と外科医を目指していました。でも、子どもが好きなので、小児科医になりたかったのですが、実習中の大学病院で診る小児科の患者さんはがんや白血病などで死に直面した子どもが多くて、当時の僕の心力では耐えられなくて、小児科医はあきらめました。
—岡山大学第二外科に進まれます
父のような町医者になりたいという思いがあって、幅広い疾患を診れる外科医を目指していました。当時の岡山大学第二外科は、教授が心臓血管外科、助教授が消化器外科が専門で、肺がんとか乳がんも診ていて、幅広い診療科目を対象にしていたので、そこに行けば大体全部勉強できると思って岡山大学第二外科に決めました。そして、県立病院や市民病院などの地方の総合病院を含めて4年間研修しました。
研修時代、手術室にて:右が内視鏡手術行ってる私
研修時代、手術室にて:右が内視鏡手術行ってる私
—2回目は在宅医療に進まれたきっかけ、「在宅診療敬二郎クリニック」の現状や「香川」について語っていただきます。
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