【コラム:近代医学・生理学の幕開け】血液循環を発見した「近代生理学の創始者」-ウイリアム・ハーベイ2

【コラム:近代医学・生理学の幕開け】血液循環を発見した「近代生理学の創始者」-ウイリアム・ハーベイ2

血液は心臓→動脈→静脈→心臓と循環する
ハーベイは心臓が1時間に人間の体重の約3倍の血液を送り出すことも確認しました。血液が、そのスピードで生産され、破壊されることはありえませんから、心臓が同じ血液を何らかのプロセスを経て回収し、何度も繰り返し使っていると考えられました。つまり、同じ血液が心臓から動脈へ、動脈から静脈へ、静脈から心臓へと循環しているものと考えたわけです。
これらの結論と、その根拠を記載した小冊子『心臓の血液の運動について』はオランダで発売されたものの、反響は芳しくありません。むしろ多くの医師や医学校、研究者から批判・嘲笑を受けました。
高名な医師は当時、広く受け入れられていた古代ギリシャ(2世紀)のガレノスの説(血液は心臓の右半分から左半分に移動する)を前面に出してハーベイを攻撃、ハーベイに「循環器」というニックネームをつけました。
実は、このニックネームはラテン語の俗語で、「やぶ医者」を意味しています。実際にハーベイの医師としての評判も低下し、一時は医師としての仕事が減りました。
ただ、ハーベイは、こうした攻撃には、あえて反論せず、時の証明を待ちました。結局、ハーベイの時代には動脈と静脈をつなぐ器官は見つからなかったものの、血液が循環するという事実は次第に医師や生物学者に受け入れられるようになりました。1654年には医科大学の学長に推挙されましたが、それを断り、静かな余生を送りました。ハーベイが亡くなったのは1657年でした。
動脈と静脈の連結が目で確認できなかった
「血液循環論」が完全に受け入れられるためには血液が動脈から静脈へ移行する様子が観察されなければいけません。ただ、この2つの血管がつながっている部分は肉眼では見えなかった。ハーベイは動脈も静脈も、だんだん細くなり、ついには目に見えなくなったと判断していました。このことは後に顕微鏡を利用してマルピーギが発見しましたが、そのときには、すでにハーベイは亡くなっていました。
※『病院の選び方2023 疾患センター&専門外来』(2023年3月発行)から転載
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