【名医からのメッセージ~トップランナーが語る半生】002 大圃 研(消化管内科)第2回

【名医からのメッセージ~トップランナーが語る半生】002 大圃 研(消化器内科)第2回

各領域のプロフェッショナルである「名医」へ、その生い立ち、医師になったきっかけ、実績、そして未来へのメッセージをインタビュー。 
 
一般生活者へ最新医療を啓蒙、医師へのメンタルブロック解消により病院や医師選びの選択肢の拡大を実現し、個々にとっての最適な医療の受診につなげることを目的にしています。
2人目は消化器内視鏡治療におけるプロフェッショナル 大圃研先生(NTT東日本関東病院 消化管内科部長・内視鏡部部長)です。
8回にわたるシリーズの2回目は「生い立ち、そして医師を目指したきっかけ(中編)」になります。

第2回:父の「大きな背中」に魅せられて
父親の背中を見て、医師の道へ
—医師を目指したきっかけは。
多くの方もそうだと思うのですが、小さい頃から医者になるための高尚な理由はなかったです。代々医者家系でしたが医者への憧れもありませんでした。ただ、小さい時は田舎だったので、みんな僕が医者の息子と知っていて、「お父さんを継いでお医者さんになるんだよね」とずっと言われ続けて育っていました。
それが嫌なら否定しましたが、父の評判が良かったし、父を継いで医者になることは嫌ではなく、とりたててこれをやりたいと思うものもなかったので、自然と進んでいきました。
—お父さんは大学病院勤務だったのですね
はい、東京にいた幼年期はそうでしたね、それから実家(茨城)の病院(大圃病院)に移ります。今はクリニック(大圃クリニック)になっていますが、当時は病院だったので手術もしていました。
父親の専門は消化器です。また、私の親族では僕以外は全員が外科医です。父親も祖父母もみんな外科医です。
ですので、私は一族で初めての内科医です。でも親族からは「結局お前も外科医だな、やっていることは同じだな」って言われていますね、もう否定はしませんけど(笑)。
大圃クリニック
大圃クリニック
—実家で見るお父さんの仕事はどのように映りましたか
東京にいた時は小さかったこともありますが、親の仕事が医者だとか、あまり認識はなかったです。でも、茨城の実家は病院に隣接していたので、父親が病院と家の間の庭を通って、頻繁に行き来をしている姿を見ていました。その時に白衣で仕事している父親が極めて身近になりました。
手術をしている病院だったので、基本的に父がすべての当直をしていました。白衣でウロウロ、行ったり来たりもして、病院の電話もすべて家の中まで繋がっていました。ご飯を食べている最中に「プー」って鳴り、そのまま出て行って、その日は帰ってこなかったこととか、いくらでもありました。
また、行って帰ってきたと思ったら、どうのこうのと言って、また出て行ってと。もう毎日のことなので次第に気にもならなくなりました。
時には父が「これから緊急手術。あと30分ぐらいで始まっちゃうから、パっとご飯食べに来た」と言って、ふいに病院から現れ、ご飯を食べていたりしていました。普通にそんな場面を目にしながら、僕は僕で勉強している。そんな感じで、父が仕事をしているところをずっと見ていました。
そんな環境で、父親を見ていたので、医者の仕事がこのようなものなのだというのは理解していました。しかし、私のような境遇でなければ、お医者さんは朝から晩までどうやって生活しているとか、 1週間どういう感じで生活しているとかわからないかと思います。
いつも通り家から出勤して、普通に帰宅していたら、 会社員なのか銀行員なのかお医者さんなのか、子どもにとってわからないし、ただ医者だよって言っているだけで、家を往復しているだけでは医者のイメージって湧かないかと思います。
だから、僕はそこを経験していたのが大きかったと思いますね。四六時中仕事をしているのを目の前で見続けていた、その父の姿を見てなるほどと、医師になりたいと思いました。
大圃クリニックにて(中央が父)
大圃クリニックにて(中央が父)
—すごい「父の背中」だったのですね
父は仕事をし過ぎていたなってことがわかりました。
働き方改革的にもアウトですからね(笑)。365日基本全部自分が当直しているわけじゃないですか・・・。(笑)
でもそれが普通で、仕事するってそういうことだろうと、本当にそう思っていました。特別よく仕事をしているとは全く思っていませんでした。他の人が仕事をしているところを見たことがないですから、比較対象もいませんので。
そのいい例が夏休みをとるということ。夏休みといっても病院を休めないので、父は夏休みとか冬休みを1回もとったことがありませんでした。
だから、僕も大人は夏休みをとらないと思っていましたし、それは子どものためのシステムだと思っていました。医者になってからですね、はじめて大人も夏休みをとるものだと知ったのは。
夏休みに旅行に行くにしても、僕は母親と行きます。金曜日に出発して土曜日の夜に父が合流し、日曜日に一緒に帰ってくる。でも「それはそうでしょ、患者さんもいるし仕事は休めないでしょ」と当然に思っていました。行くと約束していても、患者さんが許してくれなかったら来られなくなることも普通のこととして「それはそうだろう」とも感じていました。父の生活そのものが医師像のすべてだったのです。
そういう父の姿を知っている町の人たちから当たり前のように「医者になるんでしょ」って言われていました。でも、悪い気もしないし、他にやりたいこともないし、「じゃ医者でいいか」って感じでもありました。
別に父の様子を見て、すごいとも、やりたくないとか嫌だなとも思ってなくて、普通だろ、大人ってみんなそうだろうと思っていました。
父が仕事に対して、家でくだを巻いたり、「ブーブー」言っていたら、医者になるのをためらったかもしれないですが、父はおそらく僕の前で一度も仕事を嫌だとか、それに対する不満とかを見せたことがない、だから大人は平気なんだなと思っていました。
大人は休みを取らないし、遊んだりもしないで、毎日仕事をするのが当たり前。それはどこの家の大人もみんなそうだと認識していました。
しかも、子どもにはとてもできるとは思えないけど、それが大人にとっては、それほど大変なことではないのだろうなって思っていました。医者がではなく、大人が全部そうだと。
父、大圃 弘
父、大圃 弘
—3回目は「生い立ち、そして医師を目指したきっかけ(後編)」になります。
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