【書籍転載】本人の意思を尊重する意思決定支援~事例で学ぶアドバンス・ケア・プランニング(第3回)

11 誤嚥による窒息死の可能性が高い終末期患者が口から食べることを望む時の経口摂取の選択

西川満則、長江弘子、横江由理子(編)『本人の意思を尊重する意思決定支援』(南山堂)より転載
年齢:85
:病棟
時間:月単位
本人の現在意思:あり
代理意思決定者:明確
対立(人):本人/家族,家族/医療者
対立(事項):経口摂取
倫理的課題:自律,善行,無危害
概要
患者 Sさん 85歳 男性
病名 慢性閉塞性肺疾患(COPD),誤嚥性肺炎,右大腿部頸部骨折,脳梗塞
経過 誤嚥性肺炎にて入院.治療により肺炎は軽快したものの,大腿骨の頸部骨折や脳梗塞を起こし,徐々に全身状態が悪化してきた.また,経口摂取を再開するたびに痰が増加し誤嚥性肺炎を繰り返したため,絶食の状態が続いていた.病状の改善の兆しはなく余命は週単位と考えられたある日,「甘納豆が食べたい」Sさんがポツリと言った.妻は,Sさんの希望を聞いてすぐに甘納豆を買いに行き,食べさせようとしていた.「死んでもいいから食べたい」という Sさんの願いを叶えて食べさせてよいかどうか相談があった.
家族構成 妻と2人暮らし.キーパーソンである妻は,間欠性爆発性障害があり,コミュニケーションに特別な配慮が必要である.3人の子(息子1人,娘2人)はいずれも独立しており,病状説明には同席するが面会に来ることは少ない.
本人・家族の意思と医学的判断
本人の意思
過去 Sさんの書いたメモには食べ物のことが多く記されており,お正月前には,「おせち料理が食べたい」「おせち料理の夢を見た」「黒豆,数の子,昆布巻きが食べたい」と,COPDのため換気量が低下し,発声や会話が困難な状況の中で小さな声で話していた.
現在 「甘納豆が食べたい」「死んでもいいから食べたい」と希望している. 代理決定者を長男と指名した.
未来 経口摂取をした場合,本人の食べたい気持ちを満たすことはできるが,誤嚥のリスクが高く窒息死の可能性も否定できない.誤嚥性肺炎による痰の量の増加,それに伴う吸引回数の増加など,苦痛が増す可能性がある.また,そのようなことが生じた場合「食べさせたことで本人の命を縮めてしまったのではないか」という精神的なショックが家族に生じる可能性がある.経口摂取しない場合は,誤嚥や窒息のリスクは回避される.しかし,本人の最期の望みを叶えることができない.
医学的判断
誤嚥性肺炎で入退院を繰り返し,COPDの終末期.170cm近い身長にもかかわらず体重は40kg程度に痩せている.余命数週間と考えられる.
家族の意向
妻は「食べさせてあげたい」と思っている.3人の子どもたちは「食べさせてあげたい」という気持ちはあるが,苦痛の増加を心配して食べさせることに消極的.
支援のポイント
Sさんの最期の願いを叶えるべきか,誤嚥のリスクを回避するためにこのまま食べさせない方がよいか検討していった.死んでも食べたいと言っているSさんの「食べたい」思いを叶えてあげたい思いは皆が共通していたが,実際に経口摂取をさせるかについては家族間でも意見の相違があったので調整が必要である.また間欠性爆発性障害をもつ妻が,誤嚥や窒息のリスクまで十分理解して食べさせようとしているのかという点も問題であった.Sさんの願いを叶えるだけでなく,長い人生を一緒に過ごしてきた妻にとっても納得できる時間を過ごしてもらうといった視点ももちつつ支援方法を探った.
チームカンファランスでの意見
①食べさせることでSさんの苦痛が増す可能性もあり,子どもたちは後悔をすることが考えられる.この時期に食べさせることの意味について,家族全員の理解が必要である.
②妻は,その場では説明内容を理解されても,後になって「あの人が食べさせたから死んでしまった」と被害的に思い込んでしまう可能性があり,医療者を攻撃対象とする危険性もある.
③妻以外の家族にも病状を理解してもらい,家族の協力のもと受け入れたくない厳しい病状を妻が受け入れられるように働きかけ,妻にとっても後悔のない時間を過ごしてもらうという視点が必要.
具体的実践
終末期にあるとはいえ,Sさんの認知機能に大きな問題はなく,かろうじて意思表示もできる状態での希望であり,本人の希望を叶えるために,家族それぞれの思いを確認していった.妻は,「夫の好きな甘納豆を食べさせてあげたい」と話した.妻以外の子どもたちは,痰の量も増え,余命いくばくもない状況となっている中,本人の苦痛が増すのであれば食べさせることを控えた方がいいのではないかと心配していた.また,母親が病状の悪化を受け入れられず精神的に不安定になり,自分たちが振り回されることを危惧していることがわかった.
これまで病状説明は主に妻中心になされてきたが,家族全員に同席してもらい話し合いをした.病状説明後,食べることが好きな本人の最期の望みを叶えてあげてはどうかと問いかけた.同時に,食べさせることでの誤嚥・窒息のリスクの説明を行い,それでも食べさせることの意味について考えてもらえるように働きかけた.
妻は,受け入れがたいことに関して相手を攻撃することもあったため,妻が信頼している長女に協力してもらい病状の理解を促していった.その後も,Sさんが指名した代理決定者の長男中心に話し合いを重ねていった.
最終的に長男は,「今以上の苦痛を与えないことを最優先したい」と,食べさせないことを選択した.徐々に呼吸状態が悪化したSさんは,傾眠傾向になり「食べたい」という希望を言わなくなり最期を迎えた.
考察
残された時間が短いとわかった時,本人の最期の希望を叶えてあげたいと思うことは自然なことである.しかし,それにリスクが伴う場合,実現が困難なこともある.
リスクを十分に理解した上での本人の希望であれば,それを尊重すべきではないか,と考える一方で,リスクを招く可能性のある場合には,本人にとっての最善を慎重に検討することが求められる.本人を取り巻く家族の背景もさまざまであり,本人のためを思って行った行為が,見方によっては医療事故としてとらえられてしまう危険性もはらんでいるため,家族のうち1人でも意見の相違がある場合には,じっくりと話し合い皆の合意形成をしていかなければならない.
このケースの場合,妻のパーソナリティーが障害となり,家族も医療者もリスクを越えてあと一歩を踏み込むことができなかった.苦痛の緩和という観点からは,痰の増加による呼吸困難や吸引回数の増加により生じる苦痛は回避できたと考えるが,終末期の本人の希望を叶えることができず,後々まで心に残るケースであった.
〔横江由理子〕
 本人の意思と苦痛を増強するリスクのどちらを優先すべきか考えさせられる事例である.この「本人にとっての甘納豆の重要性」は,何か特別な意味があったのだろうか.しかし医学的に現在の状態から「経口的に固形物を食べること」は身体機能的に無理があり,そのことをわかりつつ望みを叶えるか,について考えるためには,本人の真意を汲み取ることが重要である.「死んでもいいから…食べたい」という本人の言葉は死は近いことを知りながら,苦しみたいか,楽でいたいかの答えにはなっていないので,家族も医療者も苦しむのである.この事例のように家族で話し合って「死ぬまで苦しまない方がいい」と結論を出したことは結果的には本人が望んだことではないだろうか.残された妻も結果的には「死んでもいいから甘納豆を食べたい」と言って穏やかに亡くなった夫を思い出し「夫らしい」と微笑むことができるのではないか.【長江】
 本人の食べたい気持ち,お楽しみ程度であっても命に関わるほどのリスクがある,難しい判断でしたね.もしこれが,食べることではなく医療行為であれば,医療者はその行為を行わない選択をすべきでしょう.一方,食べることは生活行為なので,リスクはあっても,ご本人の意向に添いたかったですね.共感します.【西川】
意思決定支援用紙

意思決定支援用紙

【関連書籍】
関連記事
人気記事