【書籍転載】本人の意思を尊重する意思決定支援~事例で学ぶアドバンス・ケア・プランニング(第5回)

16 家族間で本人にとっての最善が異なる場合の重度認知症患者の最期の場所の選択(横江由理子)

西川満則、長江弘子、横江由理子(編)『本人の意思を尊重する意思決定支援』(南山堂)より転載
年齢:82
:病棟
時間:日単位
本人の現在意思:不明
代理意思決定者:明確
対立(人):本人/家族,家族間,家族/医療者
対立(事項):療養場所
倫理的課題:善行
概要
患者 Tさん 82歳 女性
病名 アルツハイマー型認知症,腎がん,肺炎
経過 認知症の進行により自宅での療養が困難になり6年前に施設へ入所.2か月前に腎がんと診断されたが,高齢で認知症も進行していることから手術や抗がん薬治療の適応とならず,施設に戻り自然経過で様子を見ていた.今回は,発熱が続き肺炎治療のため入院.抗菌薬治療をしたが病状は悪化する一方で,改善の見込みがなく治癒することは困難な状況となった.ほぼ毎日面会に来ている夫は口数が少なく,病状をどの程度理解しているかわからなかった.余命数日となり,このまま病院で最期を迎えるのか,残された時間をどこで過ごすか,最期を迎える場所をどこにするか,Tさんにとっての最善を相談していくことになった.
家族構成 6年前から老人保健施設に入所中.家族は80歳代後半の夫,子2人(長男,次男)はそれぞれ家庭をもち独立している.
本人・家族の意思と医学的判断
本人の意思
過去 最期を迎える場所についてTさんの意思表示はない.認知症が診断された8年前から現在入所している施設のショートステイを利用.6年前からは併設の老人保健施設に入所し,そこで生活を送っていた.穏やかな性格で寂しがりや.
現在 認知症が進んで家族の顔も認識できない状態.発語もなく本人の意思確認はできない.
未来 施設に帰った場合,住み慣れた環境でTさんのことをよく知った人たちに囲まれて残された時間を過ごすことができる.ただし病状がかなり悪化しているため,15分程の施設までの移動中に息をひきとる可能性もある.病院でこのまま最期を迎える場合,医療環境は整備されているが,家族の面会時以外は一人で過ごさなければならない.
医学的判断
アルツハイマー型認知症の終末期.腎がんは積極的治療できない.肺炎を併発し,入院して抗菌薬治療を受けたが,炎症所見が改善せず呼吸状態も徐々に悪化している.これ以上の治療方法がなく余命は数日単位と考えられる.
家族の意向
夫:病院でできる限りのことをしてほしい.
夫以外の家族:本人の最善を考えたい.施設に帰ることが本人のためになると思う.
支援のポイント
本人の意思が全く確認できないため,キーパーソンである夫の意見や理解がポイントとなった.家族間の意見の相違もあり,本人にとっての最善を皆で話し合い,合意形成をしていく必要がある.退院をして施設に帰るということは,住み慣れた環境で過ごせるという反面,治療をせず自然な経過を受け入れることでもあり「住み慣れた環境で最期の時間を過ごすことの意味」について皆が共通の価値観がないと実現することは難しい.
また,受け入れる側の環境や体制,ケアに携わる人々の思いを確認して,合意形成をしていく必要がある.病院でできること施設でできることの限界,それぞれのメリットを理解して検討することが必要となる.
チームカンファランスでの意見
①「病院でできる限りのことをしてほしい」と希望する夫の“できる限り”は何を意味しているのか確認する必要がある.
②残された時間を施設に帰って過ごすことが本人にとっての最善だと考えられたとしても家族の中に 1人でも可能な限りの医療を望む人がいた場合は,難しいだろう.
③看取りに対する施設の体制やスタッフの思いなどを確認しておくことが必要.
具体的実践
家族(夫,長男,長男の妻,次男)と,入所していた施設長と看護部長,病院スタッフで,話し合う場を設定した.
病状を再度説明し,今の状況では病院でできる医療には限界があり,施設が受け入れてくれるのであれば,住み慣れた施設に帰って残された時間を過ごすことも検討してはどうかと問いかけた.施設のスタッフからは,家族が希望すれば受け入れが可能であり看取りのための体制もとれることが説明された.
家族の思いを確認すると,夫は「病院の先生を信頼しています.このまま病院での治療をお願いします」と病院での治療の継続を希望した.子どもたちは,施設に帰る方が本人のためではないかと思いつつ,長年お世話になってきた施設の方々に負担をかけてしまうことや,今の状態で移動させることが本人の負担になるのではないかと迷う気持ちを話した.
施設のスタッフからは,家族が希望するのであれば自分たちも長年介護してきたTさんの最期に携わらせてもらいたいと思いが伝えられた.住み慣れた環境で,顔見知りのスタッフの温かいケアのもと,残された時間を過ごすことの意味について考え,Tさんが話すことができたらどちらを希望するか話し合った.
しかし夫は「私の気持ちは変わりません」と強い口調で話し,取りつく島もなく,子どもたちは夫の意見に沿う形で,病院で看取る方針となった.方針が決定した数日後,病院で最期を迎えられた.
考察
Tさん自身の価値観や人生観,夫の性格や希望などの十分な把握ができておらず,それを意思決定の判断材料にすることができなかった.Tさんの意思はわからないけれど言葉を発するのであれば,住み慣れた施設で残された時間を過ごしたいと希望するのではないかと感じられる中,夫の病院志向・医師至上主義が強くそれを叶えることができなかった.
本人の推定意思と家族の意見が乖離する時には,どちらを優先すべきか.本人の推定意思をもとに決定していくことが最善ではないかと考える.しかし,現実には容易ではなく,終末期の意思決定に携わる医療者は限界を心得ておくことも必要だと感じた.結果ではなく,プロセスを大切にする姿勢を忘れてはいけない.
この事例を振り返ってみると,腎がんについて対症療法のみという方針に夫も納得しているとの情報であったため,看取りを覚悟していると思い込んでいたが,実は妻の死を受け入れることができていなかったのではないかと感じた.大切な妻と別れがたい夫の気持ちに気づき,夫への精神的ケアと段階に応じた死の受容を促すアプローチをしていくことができれば,夫の気持ちも変化して違う最期になっていたのかもしれない.
〔横江由理子〕
 愛する人を見送るということが夫婦と親子では異なり,残された家族での合意が難しいという一例であろう.配偶者や親の老いや死の受け入れに際しては,これまでの夫婦・親子関係も関連し,共に過ごした時間や尽くした思いなどの満足感と十分にできなかった後悔が入り交じり「本人の意思」よりも「せめて最後に~してあげたい」という見送る者の希望が優先されることもある.愛する家族の最期にどう向き合うか,という課題を乗り越えるには支援が必要であり,看取る家族もケアの対象であることを忘れてはならない事例である.【長江】
 最期の場所の選択において,たった一人のご家族と,その他の家族の意見が対立した事例ですね.著者の考えに共感します.結果は,患者にとっての最善ではなかったかもしれませんが,十分にプロセスは尽くせましたね.また,最後にたった一人のご家族の気持ちのつらさに焦点をあてたのはいい気づきでした.【西川】
意思決定支援用紙

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