【書籍転載】本人の意思を尊重する意思決定支援~事例で学ぶアドバンス・ケア・プランニング(第6回)

22 軽度認知機能低下のある大腸がん患者の抗がん薬治療の選択(西川満則)

西川満則、長江弘子、横江由理子(編)『本人の意思を尊重する意思決定支援』(南山堂)より転載
年齢:75
:病棟
時間:アドバンス
本人の現在意思:あり
代理意思決定者:明確
対立(人):本人/家族,本人/医療者,家族間,家族/医療者,医療者間
対立(事項):抗がん薬治療
倫理的課題:自律,無危害
概要
患者 Tさん 75歳 男性
病名 大腸がん,転移性肝臓がん
経過 X年,下部消化管内視鏡検査や各種画像検査の結果,大腸がんの診断に至った.主治医から,本人と妻と長男に病名の告知が行われた.治療方針としては,大腸の切除術に加え,抗がん薬治療の提案がなされた.大腸の切除術が実施され,術後の経過は順調であった.ある日,主治医は次の治療として,本人に対して抗がん薬治療を提案した.その時のPerformanceStatus(PS)は2であった.Tさんには,軽度の認知症があったが,その場では,治療の効果や副作用を十分に理解できており,抗がん薬治療を選択された.しかし,数日後のある日,担当看護師は,Tさんが主治医から受けた説明の内容をすっかり忘れていることに気がついた.それを看護師から聞いた主治医は,再度,抗がん薬治療について説明した.すると,Tさんはまた,抗がん薬の効果と副作用をよく理解され,抗がん薬治療を選択された.しかし,数日後また同じことが起こり,その後も続いた.Tさんにインフォームドコンセントは十分に果たされたのか,また,医療ケアチームとしてしっかりと情報を共有して意思決定を支援できたのか,難しい医療判断に迫られ,患者・家族も含め,医療ケアチームでのカンファランスが開催された.
家族構成 妻:軽度認知症 長男:47歳,仕事が忙しい
本人・家族の意思と医学的判断
本人の意思
過去 Tさんは今まで,抗がん薬治療について,家族に語ったことはなかった.
現在 抗がん薬治療を受けたい.しかし,説明を受けたことを忘れてしまう.主治医から説明を受けるたびに表明される Tさんの意思は,毎回,抗がん薬を受けたい,であった.
未来 Tさんは,病状をよくしたい思いが強かった.また,Tさんは,家族に迷惑をかけたくない思いももたれていた.しかし,これら Tさんの気持ちを根拠に,Tさんが抗がん薬治療を選択したいのかどうか,推測することは難しかった.
医学的判断
本人が治療の効果と副作用をよく理解していれば,全身状態は万全ではないが,抗がん薬治療は可能である.約半年の延命効果が望める.
家族の意向
妻は,夫に負担をかけたくないので抗がん薬治療はしないでほしいと切に願っていた.長男は仕事が忙しく,なかなか見舞いに来ることもできなかったが,父親の意向を尊重したい,と考えていた.
支援のポイント
侵襲性のある抗がん薬治療を実施するか否かの根拠は,医学的な適応と患者の意思である.医学的には,PS2と十分な全身状態ではないが,抗がん薬治療は選択しうるという主治医判断がある.また,抗がん薬の選択には,十分な患者の理解が必要である.Tさんの場合,十分に効果と副作用を理解していると考えてよいのかどうかの判断が難しい.この点を,患者の意思,最善の利益に照らして,患者・家族を含めた医療ケアチームで話し合うことが,支援のポイントである.
チームカンファランスでの意見
①病状について連続的に理解できておらず本人は判断力が低下している.したがって,リスクの伴う抗がん薬治療を行うべきではない.
②確かに理解は連続していないが,毎回患者は同じ判断をし,リスクを含めて判断できているので抗がん薬治療を実施しうる.
③どちらが正しいかの結論を導く根拠は見つからないが,忘れている事実を本人と共有しながら,医療ケアチームで意思決定支援を継続することが重要なのではないか.
具体的実践
忘れる事実も共有しながら,本人の意向を再確認した.また,その際に,家族の気持ちにも寄り添いつつ,意思決定支援を継続した.医療ケアチームとしては,意思決定支援のプロセスにおいて,抗がん薬治療を実施すべきとか,実施すべきでないとか,あらかじめの結論を決めずに支援を継続した.しだいに,本人の気持ちは,やはり,抗がん薬治療の実施なのだろうと感じられるようになった.「その決断でよいと思いますよ.よく考えられましたね.」と声をかけながら,患者の背中を押した.しかしある日,本人の出した結論は,意外なことに,抗がん薬治療を受けないという選択だった.Tさんは,最愛の奥様の気持ちに触れるにつれ,「抗がん薬治療を受けない」と,自分自身で結論を出されたようだ.長男も,それが本人の意向であればよいのではないかと理解を示された.Tさんは,十分に納得して意思決定をされたように見受けられた.
考察
「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン(厚生労働省により平成 19年策定,27年改訂)」によれば,「医師等の医療従事者から適切な情報の提供と説明がなされ,それに基づいて患者が医療従事者と話し合いを行い,患者本人による決定を基本としたうえで,人生の最終段階における医療を進めることが最も重要な原則である」と書かれている.しかし,十分な情報の提供とは何だろうか,医師や医療従事者が十分に説明したら十分な情報提供をしたと言えるだろうか.あるいは,患者が十分に理解したら十分な情報提供を受けたと言えるだろうか.また,患者が十分に理解するとはどういうことだろうか.さらに,患者の意思決定は患者の中だけに存在するのだろうか.私たちは,この事例から,以下のことを学びとることができる.患者の理解についての絶対的な根拠がない場合でも,患者の意思を中心に,家族のつらい感情に寄り添いつつ支援を継続するならば,患者の意思を尊重した選択が可能である.また,揺れ動く患者の意思は,家族のそれと連動しており,それもまた患者の意思である.
〔西川満則〕
 認知機能が不安定な状態は認知症でなくても生じますが,情報提供は双方向で,互いにとって意味を成すものでなくてはなりません.伝えただけでは提供とはならず,相手に理解され受け止められてこそ意味を成すのです.だからこそ,決めることが重要なのではなく,この事例のように意思決定の中心は本人であることを,家族の気持ちに寄り添いながらくり返し確認することが大切で,それが家族自身が揺れ動きながら「本人はどうしたいのか」に寄り添う経験につながった.これがプロセスを大事にするということで,このプロセスを共に踏んでいくことが支えるケアとなるのだと思います.すばらしいかかわりです.【長江】
 意思決定能力が十分といえない高齢者の本人の言動をどこまで尊重すべきか?家族の意見だけで決めてよいか?悩むことも少なくありません.どちらの意見も尊重しつつ合意形成できた事例だと思いました.この事例のように,理解力や認知力の低下しつつある患者であっても,自分の病状を理解し治療の選択ができるように支援できるとよいと思います.【横江】
意思決定支援用紙

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