【名医インタビュー】すべての人が健康になるために アフリカから世界を変えたい 杉下智彦

【名医インタビュー】すべての人が健康になるために アフリカから世界を変えたい 杉下智彦

国を超えて、数多くの人々の健康に貢献してきたのが杉下智彦医師だ。アフリカで診療に携わった経験を踏まえ、アフリカ各国の保健システム構築まで手がけるようになった。その道を志した背景や、現在取り組んでいることについて話を聞いた。
中学時代の夢は医師になって世界貢献
 発展途上国での医療活動に献身した医師といえば、1999年度ノーベル平和賞を受賞した「国境なき医師団」の第一号日本人派遣医師の貫戸朋子医師や、小説・映画『風に立つライオン』の主人公・島田航一郎(モデルは柴田紘一郎医師)を思い浮かべる人も多いだろう。東京女子医科大学医学部国際環境・熱帯医学講座教授・講座主任の杉下智彦医師もその一人だ。
 杉下医師は2016年10月に同大学に赴任。現在、マラリアを中心とする熱帯医学の分子生物的な研究に携わりつつ、アフリカを中心に低所得国の保健政策策定や保健システム強化の支援活動を行っている。
 中学の頃からアウトドアが趣味でキャンプをよくしていた。また読書好きで、中学高校では文芸部に所属。本を通じて戦争や貧困、人種差別など多様な社会課題への問題意識を持つようになった。「未知の世界を知るほど、その先はどうなっているのだろうという探求心が湧きました」と振り返る。
 中学時代のある日、英国BBCによるアフリカの報道が目に留まった。それは世界中が初めて見た第一次エチオピア飢饉の現実だった。リアルタイムの映像に衝撃を受けた。それまで世界は素晴らしいところだと思っていたのに、同年代の人間が死に瀕する惨状を、世界が放置している事実に驚き、怒り、悲しみを感じたという。
 「こんなことではいけない」と正義感が湧き、人生の羅針盤が進路を示した。「世界が何もしないなら、自分が医師になってアフリカに行こう」と医学部への進学を決心した。ちょうど日本で初めて体外受精を成功させた東北大学に多くの世界的に著名な医師がいることを知り、早くアフリカに行きたい一心で夢を膨らませた。
エジプトの大学病院の医師が杉下医師のもとにリーダーシップを学びに訪れた時の様子
マラウイで過ごした人生で「最も濃い時間」
 90年に大学を卒業し、聖路加国際病院で4年間、外科医としての腕を磨き最年少のチーフレジデントとなった。その後、母校の心臓外科教授に声をかけられて心臓移植の研究に取り組んだ。ある大きな心臓手術を終えた夜、「アフリカに渡ろう」と決意を固めた。翌日、青年海外協力隊東北支部を訪ね、マラウイ共和国での外科医師の募集を知り、その場で選抜試験に申し込んだ。1995年12月、2カ月間の国内訓練を経て2年間の任期でマラウイに赴任した。当時、マラウイのある東南部アフリカはHIVが猛威を振るっていた。マラウイ南部の地方都市ゾンバは成人のHIV罹患率39%と、国内で最も罹患率が高い地域だったが、その国立ゾンバ中央病院が赴任先だった。人口200万人をカバーするたった一人の外科医として、クリニカルオフィサー(診断や治療などを行う準医師)やナースと外科チームを編成。麻酔、滅菌、回復室などを整備し、衛生観念、患者管理、緊急連絡網を整えて24時間手術可能な体制を構築。その評判がマラウイ南部の病院に知れ渡り、飛び込みや紹介患者が押し寄せた。

 2年の任期は10カ月間延長され、 手術した患者は3100件を数えた。3室ある手術室をフル稼働させ、一日で20件を越える手術をする日も多かった。特にHIV感染に起因する悪性疾患や腹膜炎、膿胸なども多く、来る日も来る日も手術に明け暮れた。「予防は治療に勝る。どのようにすれば、病気にならない社会を創れるのか――」と考えるようになった。
 一方で、日々の診療を通して、マラウイの伝統医療の存在を知った。伝統医療では病気だけではなく、貧困の苦しさや失恋による寂しさ、妬みや誹りなども治療対象となり、さまざまな薬草が処方されている。そんな独特な世界を垣間見て、伝統、文化、社会のあり方の豊かさに気づかされ、その奥深さに驚嘆すると共に、公衆衛生学や医療人類学などの社会学を学びたい気持ちが徐々に高まった。

「未知なるもの」への興味が尽きない
 その後日本で外科臨床に戻ったのちに、ハーバード大学公衆衛生大学院に留学し国際保健学を、さらにロンドン大学アジア・アフリカ研究大学院で医療人類学を学んだ。その後、国際協力機構(JICA)の長期専門家としてタンザニアとケニアに滞在して保健システム強化を支援。さらにJICA本部のシニアアドバイザーとして、アフリカを中心に30カ国以上で保健プロジェクト立案や戦略策定などに関わった。
 アフリカでは保健サービスの提供は飛躍的に改善されてきた。例えば、ケニアでは2007年に母子手帳が導入されたが、杉下医師はオクスフォード大学と共同で電子母子手帳を開発・普及を加速することで、現在では95%以上の妊婦が母子手帳を使っている。他にも、アフリカにおいて健康分野のITビジネスへの参入が熱を帯びてきている。しかし、「アフリカの公衆衛生は劇的に改善されてきたものの、その恩恵が女性や子ども、障害者、高齢者など社会的脆弱者にはまだまだ行き届いていません。経済格差が健康格差を生み出している現状を是正する必要があります」と警鐘を鳴らす。
 翻って、日本の医療も同様の課題を抱えることに、自身が両親の介護をする過程で気付いてきた。地域包括ケアが導入され、超高齢社会に対応した医療・介護・生活基盤の新たなシステムが稼働し始めたが、新しい健康格差を生じ、豊かさを感じられない人々が徐々に増えてきている。「日本もアフリカも同じように社会課題を抱えている」。杉下医師自身が介護の当事者でありながら、医師としてどのように地域保健システムを改革し、持続可能な社会を創造していくのか――地方行政や民間企業との連携を通して足掛かりを探る考えだ。
 杉下医師は、さまざまな国際機関の委員を歴任し、2015年には国連サミットで策定された「持続可能な開発目標(SDGs)」の国際委員を務めた。その上で、東京女子医科大学において、持続可能な社会のために、皆で支え合うためのリーダーシップを育てる医学教育に注力している。「目の前の患者の治療だけでなく、さまざまな社会課題と向き合い、リーダーシップを発揮して、人々と共にその解決に向けて人生を捧げることこそ医師の使命」と言い切る。
 40年前に抱いたアフリカの夢は、その先にある地球における持続可能な社会システム創りという新たな照準へと取り組みを加速させている。子どものころから「未知なるもの」への興味は人一倍強かった。時間があれば、歴史や文化、風土や精神世界への好奇心に導かれ、さまざまな土地で住民の話に耳を傾けてきた。「かつて境界を越えて未知なる世界の魅力と可能性に挑戦してきた『奥地前進』という、当時の青年海外協力隊のスローガンを聞くと今でも心が躍ります」

※『名医のいる病院2020』(2019年9月発行)から転載
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